ほんとにおもしろいことは竹筒の中に
今日は朝から父と母がいない。
2人とも一泊旅行で関西へ。 夫婦水入らずのらぶらぶ旅行ではない。 同じ高速バスに乗るのだが、母は母の友人と会う、父は父の友人と会う。 私はおうちにひとり。 やることがないので過食する。 母には何度も「いい子にしてるんよ!」と言われたけど、いい子でなんかイラレナイ。 朝:スパゲティを食らう(自ら茹でて、&冷凍食品)。+α 昼:いなり寿司(惣菜コーナで買ってきた)を食らう。+α 夕:そうめんとカレーライス(レトルト)を食らう。 稲荷寿司のあと、『龍馬伝』(再)を見ながら、途中から読書に切り替えて、お昼寝。 一応頼まれていた、洗濯物干しはやった。 その際取り入れた洗濯物はまだ畳んでいない。 現在、入眠剤と頓服薬が効いて、少しぼーっとした状態ではある。 吐きながら、頭に浮かんだこと 私を称賛してください 吐きながら…って!まったく称賛できるような様じゃないくせに、 そんとき切実に思ったよ。 こんな私を賞賛してって ああ、認めて 誰か私を。こんな私を、こんな私でも、生きてることを讃えてほしい、と。 つまり何?私はまだ自分を肯定していないっつーことかいな。 特にためらいもなく、過食嘔吐に甘んじていながら、 それほど罪悪感を感じず、もはや日課のようにそれをおこなっているというのに、 私は自分を肯定していないのね。 いや、過食嘔吐する人間なんて、まったくもって褒められたもんじゃない。 褒める要素ゼロ!バカ!あほぅ!! でも、思ったんよ。 なんとか過食で詰め込んだ食料を吐き出そうと必死な私の背中を見ながら、 ああ、私、こんなんやけど、こんなんながら、けったいなこと抱えて、それでも生きてるんやから 生きてることだけでも、称賛してよ 私を、私を、肯定してよ それはきっと誰かに訴えたい言葉ではないんでしょう。 自分に語り掛けたい言葉なのでしょう。 なかなか言葉にできないけれど、いつか私の心に届くかな。 あるいは、現状を肯定してはいけんのか 生まれ変わることを望まねばならぬのか PR ![]()
従姉からの年賀状に「ブログやってます」という一文があり、訪問してみた。
(URLは記載されていなくて「ふうふう宮古島で検索してね」と今風) ↑まぁ見に行ってみてよ…って勝手にいいんか はぁ~ 読みやすいわぁ。 文章がうまいってんじゃないですよ(笑)。 写真が多用してあって、あと写真が大きくて(ninjaブログは写真が小さくなるんよね)、 あと、しあわせなんでしょうね。 私のように逼迫した文章はなかとよ。 ふと、従姉と私の友人Tちゃんの共通点を思い浮かべる。
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私の初恋は小3で、仲のいい男の子だった。
小3の頃、私は男子たちと遊ぶことに目覚めた。 (それまでは女子と遊ぶことが多かった) 男子たちと遊ぶのに夢中であるいっぽう、 その特定の男の子のことが大好きだった。 バレンタインには手作りのチョコレートをあげた。 その出来事の前だったか後だったか、 彼はもっとかわいい女子が好きだと直接彼から聞いた。 バレンタインの前であれば、私の根性は図太いものだし、 バレンタインの後であれば、彼はよほどの無神経だ。 次に好きになったのは小5,6で やっぱり同級生の男子で (ちなみに小学校は1クラスしかなかった) 私の友達も彼のことが好きで、 私は自分の気持ちを秘密にしていた。 (といっても、私は態度でバレバレらしく、その友達から「ほんとは好きなんでしょ?」と幾度となく糾弾を受けた) 秘密にしたまま、中学校に上がり、 同じクラスの(中学校は4クラスだった)斜め前の男の子に恋をする。 しかし、彼は同じ部活の女の子が好きだった。 結構仲がいいと思ってたんだけどな、しくしく。 その男子、Gくんは高校もいっしょとなる。 高校1年で(Gくんとは別のクラスだったが)、 周りがバレンタインで浮かれているのに感染した私は、 Gくんに「友達として受け取って」とチョコレートを渡した。 高2に入って、Gくんには彼女ができた。 高2の終わりごろ、私はクラスメイトを好きになった、と思う。 高3になってからだったかもしれない。 (高2,3はクラスのメンバーがほとんど同じだった) すごく仲がよくなったわけではない。 なぜ好きになったのか、よくわからない。 理科で同じクラスだったからだろうか…誰かを好きでいたかったのだろうか… きっかけは何にせよ、いったん好きかもしれないと思うと 好きなんだと暴走するのが若さであり(そうか?)、 恋に恋していたこともあるんでしょう(今もな) 手紙を渡しましたよ。ラブ・レター。 だけど返事はきませんでしたよ。ブロークン・ハート。 ただ、それがあまり傷になっていないのは、それほど好きじゃなかったからか、 その後もそれほど彼の態度に失望しなかったからか。 (前のGくんでさんざん傷ついているからな) 大学に入って、E先生に夢中になって、 E先生はさすが大人で、私を傷つけることなく、 ―残念ながら受け入れることもなく、 私にとっては、さみしいながら、充実した日々を送っていたと思う。 好きだと言ったことはなかったけれど、 支えになってもらえた。 いや、本当は、実際のところは、もっと支えになってほしかった。 もっともっと頼りたかった。 今考えれば、もう少しうまい頼り方があったのかもしれないと思う。なかったかもしれないけれど。 異性との出会いが極端に少ない女子大で、 外に出かけるでもない閉鎖生活の私が、E先生という拠りどころを見つけることができたのは 本当に感謝すべきことだと思う。 もう少し利用しても良かったかもしれない。 もっと「利用」という意識があれば、もっと受け入れられたかもしれない。 もっと救われたかもしれない。 あわよくば、なんて邪心があったから、ダメだったんだろう。 もっと、大人の男性としての振る舞いに期待してもよかったかも。なんてね。 ま・当時の私はやっぱりいつでもあわよくば、の気持ちがあったから、 しゃーないね。 ああ、こうして振り返ったところで、どうしようもないのだけれど、 私は他人からの好かれ方を全然学んでいないよな。 自分が相手を好き!っていうだけで。 ![]()
母に言われました、「光(私のこと)の世界は閉じている」
私は思いました(そして母に言いました)、「私は世界と母を通じてしかつながっていない」 退職して実家に戻って以降、私が接しているのは母だけ。 買い物にも行くし、図書館にも行くけれど、精神的にはひきこもりとおんなじか。 「だったら働きに行けばいいの?」 しかし、考えてみれば、仕事をしていた2年間も、私の世界は閉じたままだった。 私は世界を閉じたままだった。 会社で何人の人に会おうとも、人間関係を築いていたとはとても言えない。 (もちろん今の状態よりは開けていただろうけれど) 母曰く、「光はシャッターを閉じている」 私は、シャッターを無理やりこじ開けてくれるひとを待っている。 しかし、それは難しいことらしい。らしい、っていうか自分でもそれがそうそう起きないことはわかっている。 起きないまま15年近く経ってしまったものね。 母は私にもっと外へ出かけてほしいと言う。 もう少し着飾って、外に出て、人と触れ合ってほしいと言う。 私には、着飾ることに魅力を感じない。 外に出ることにも興味が湧かない。 そして、人と触れ合うことさえ、望んでいるのかわからない。 しかし、恋人はほしい。 母に替わる、理解者がほしい。 もう、母はええねん。要らんねん。ほんまはもう、要らんねん。 でも、今母がいなくなったら、私はひとりぼっちになってしまう。 だから手放せない。 母と同等に、私を構ってくれる人というのは存在しうるのだろうか? 存在したらしたで、それはちょっと異常な関係なようにも思う。共依存的な。不健康な。 何せ不健康な私が欲しているのだから。 私の話を聴いてくれる人、私の不機嫌を受け止めてくれる人、私が寝てばっかりいても怒らない人。 私がすすめることを快く受け入れてくれる人。 話がおもしろい人。私が話すおもしろい話に笑ってくれる人。 不健康な私は、 母以外の、異性1人と2人だけの世界の中で生きたいと思っている、かもしれない。 会社に雇われて、ばりばり働くことはOK。望んでいる。 今のように寝てばっかりを希望してはいない。働きたい。 だけど、雑多な人間関係の中に身を置くことは、希望していない、ような気がしないでもない。 ゆうじん… ゆうじん… ゆうじん…ってなに? 私は支えが欲しいのであって、 それ以外の瑣末なことは排除したい。 無駄なことはしたくない。 より効率よく自分が心安らげるように生きたい。 それには恋人が手っ取り早い、という考えに行き着く。 なんて、都合のいい恋人。 恋人という存在を知らないがゆえに、あらゆる願望をそこに押し付けているなあ。 あらゆる願望をそこに押し付けて、 あらゆる苦しみをそれ以外のせいにしている。 = 今の苦しみを恋人がいないせいにしている。 ![]() もっと、自分のことを話せるともだちがほしい。
もっと、自分のことを聞いてくれるともだちがほしい。
私のはなしを聞いてほしい。
私に耳を傾けてほしい。
自分はすごくバランスが悪いので、
話を聞いてほしいとき、話したいこと、考えていることにムラがある。
気分の浮き沈みが活発なので、その瞬間には真実である想いも、次の幕では偽りになる。
私にはそれがわかる。
今の気持ちが、明日には否定に変わるかもしれないことを。
だから言えない。言わない。
しかし言いたい。伝えたい。聞いてほしい。
理解してほしいわけではない。
ただ、聞いてくれるという安心感がほしい。
聞いてくれたという実績がほしい。
しかし、私はだいたい言わない。秘密主義。
密やかに思い、そしてその思いは密やかに転換し、誰も知らないまま埋葬される。
誰かを好きだという事実。
なぜか私は昔からそれを隠すのが苦手だ。
周りの人にも積極的に公にし、
当人にも気付かれることが多い。
告白することも多い。
私の、不安定な、「こう思う」「ああ思う」「しかしそうも思う」
そういう自分は秘めたまま、
テンションの高い私だけが、あなたを好きだと主張する ![]() |
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