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ほんとにおもしろいことは竹筒の中に
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私は、自分が女性だから、採用されたのかな、と思ってる。
今の職場を見渡すと、ふつうに異動してきた女性がいない。
隣の係にいるXさんも、私の前年度に採用された情報枠の≪女性≫。
その前に私と同じ係にいた女性、Vさんは、
前々年度に採用された人。
前々年度というのが、情報枠が創設された年度だったのだけど、
該当者ナシだった。(応募はあったけど、採用に至らなかった)
Vさんは一般事務で応募してきたのだけど、実は前職が情報関連の職種で
だから面接のときに「どうして情報枠で応募しなかったの」と聞かれたらしい。
そんなVさんは、ふつうの事務で採用されたけど、
―おそらく前職の経験を見込まれて、この情報システムの関連部署に配属されて
けれど2年で異動してしまった。
その前には、10年近くこの課にいたという、
すげーベテランの女性がひとり(結婚により退職)。

情報システムの部署に女性を配属させるのって、人事課として難しいんだと思う。
判断できないんだと思うわ。
―それは男性であったって難しいと思うけど。
  人事課が実際以上に怯んでいる気がする。
ま、それはいいとして、
だから、そもそも新規採用の情報枠というのは、
女性優先になっていたんじゃないかと思うのです。
(たった2年で廃止されたので、継続的な検証はできないものの)

それって、どうなんかな。いいのかな、よかったのかな。ありなのかな。
いや、女性優先説は私の推測に過ぎないけれど、
けれどけれど、自分の役割や立ち位置について振り返ると
求められていたものに達していない私のことを考えると
よかったのかな、と思ってしまうものです。


さて、9/5(金)の朝日新聞 【耕論:女性登用に数値目標?】。
これは、「2020年までに“指導的地位”につく人の3割を女性に」という安倍政権の掲げる目標や
女性リーダー登用の数値目標についての記事。
その中で、佐々木かをりさん(「イー・ウーマン」社長)が述べている。

   目標達成というゲタをはかされて得たポストではと、
   気にする必要なんか全然ありません。
   男性だって、能力が低いのに昇進した人はいっぱいいます。
   管理職という器が人を育てることもあるし、
   有り難く頂戴してベストを尽くせばいい。


これは女性の管理職登用についての記事だから
私にぴったり当てはまるものではないけれど、
でも、これを読んで、ちょっと励まされた。
コネで就職した人だっているだろうし(さすがに今時はないだろうけど)
それに比べたら、私は少なくとも応募資格となる試験には合格していたんだ。
私は就職して、仕事を得て、そのことで成長できた。
就職する前、採用が決まる前よりも、働く人間としてレベルアップしたと思う。思うよ!

   女性たちも企業も、
   最初から100点満点の人を探す必要はない。
   やってみないとわかりません。
   ダメなら再考する。

有り難く頂戴しよう。
私はができることはベストを尽くすこと。

ま、佐々木さんはこうも書いてるんだけど。

   管理職に抜擢され、失敗する女性もいるでしょう。
   しかし女性全体がダメなのではなく、
   その人がダメだったにすぎません。
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自分を特定されないように、ぼやかして書こうとすると
いまいち事実が伝わらないのだけど、
それでも、少しでも、わかってもらえたらいいな、と思って。

前提条件として、私は他の一般事務の同期とは異なり、
「事務(情報)」という採用枠にて採用された。
採用にあたり、「基本情報技術者試験に合格していること」という条件があった(のみ)。


5月のある日のこと。
保守を委託している常駐の業者さん(仮にYさん)に、すんごい怒鳴られました。
表向き、Yさんが怒鳴った原因は私ひとりにあるわけではなく、
私を含めた、今の私の職場の体制に対しての怒りのようでした。

ま、本当に私の職場の体制に対しての怒りであるならば、
一番下っ端の私に怒鳴り散らすのはお門違いだと、思います。
そして、私に対して特に不満があったとしても、それを急に爆発させるのは、筋の通ったやり方ではないと、冷静になれば、そう思います。
それはまあ、いいのです。
Yさんの人間性については、もういいのです。
でも、私が怖かったのは、この出来事で職場の人がどう思ったか、ということでした。
たとえば、常々私に不満を持っている人がいたとしたら、
私が怒鳴られているのを見て、スカッとした人がいるかもしれない。
それを考えると、けっこうきつい。


私が今の職場に来て感じていること。
私の会社は、もっと情報分野に長けた人が欲しかったんだろう。
私は、会社が求めているものに達した人材でないだろう。
申し訳ない。
「申し訳ない」と思ってはいけない、と思い続けている。
申し訳ないという気持ちは、自分で自分を貶めているので、考えてはいけない。
でも、相手の期待に添えていないと感じながらその場に身を置くのはつらいものです。


Yさんに怒鳴られたその日。
Yさんが席を外しているときに、係長に言いました。
「今朝、Yさんが怒った原因は私にあるのではないでしょうか。 」
言うのはズルい、という気もしました。
だって、そんなことを言われたら「そんなことない」と言うに決まっているからです。
そう言うしかないと思います。
だけど、仕事上の悩みを上司に相談するのは間違ったことではないはずだし 、
4月に入ってからぐずぐず思うことが増えて、そのダメ押しのようなYさんの激昂。
相談するなら今だろう、という気もしました。
その日、私は風邪のためガラガラ声で、聞き取りにくかっただろうけど、言わずにいられませんでした。
係長はまず「光さんが気にすることではない」と言いました。これは想定の範囲内です。
私は続けて、私が会社にとって十分な人材でないと思っていることについても伝えました。
すると、係長は
「その考え方は自分を追い詰めるだけだからやめたほうがいい」
と私を諭しました。
ほう。 “考え方”を正しなさいと、な。
実際がどう、じゃなく、どう考えるかが問題だということでしょうか。

自分のこと、仕事のこと、周りのこと、
それぞれについて、何に焦点をおいて考えるかによって、
自分を楽にすることもできるし、自分を追い詰めることもできる、と。
自分を奮い立たせるために自らを追い込むことが必要なこともあるだろうけれど、
自分は役に立っていないと考えることは、意味のないことなのだと、
私にはそのように聞こえました。

「光さんはがんばっている」と言って下さったことについて
「自分にできることはやっているが、できることの範囲が狭い」と漏らしたところ
「今はスキルアップするほどの時間的な余裕もない」と係長。

<どう考えるか>というのはきっと係長も同じで、
私のことを
「あれもできない」「これもできない」と捉えることもできるけれど、
「あれはできる」「これはできる」と捉えることもできるということかな。
そして、係長はきっと私や私に限らずさまざまなことを、 後者の目線で見てくれているような気がします。

話している途中で係長宛ての電話が入ってしまったので話は中断してしまい、そのまま。
私が受けた感銘について、きちんと係長にお礼を述べられていないような気がします。
別の機会に、感謝を伝えることも必要かもしれないけれど(とはいえ、あれから2か月以上たった今も伝えられていない)
何よりもまず、係長に言われたことを実践することから始めようと思います。


「その考え方は自分を追い詰めるだけだからやめたほうがいい」
というのは、その場しのぎの言葉じゃないというのが伝わってきました。
苦しさを訴えた部下(私)をとりあえず慰めることは、語彙さえ豊富であれば、できると思います。
単に、私を励ますだけならば、適当な言葉を紡ぐことで、可能でしょう。
こんなふうに、急に相談を受けたときこそ、その人の度量が試されるのですね。
人の上に立つって大変だ・・・。


「その考え方は自分を追い詰めるだけだからやめたほうがいい」
今も、自分に言い聞かせています。
自分にできないことを考えて思い悩むのではなく、
自分にできることを増やしていこうと思うのです。

私は、他人と深く付き合うのが下手なんだろうなあと、思う。

あと、趣味がないので、話が広がらない。相手を退屈させる。私も楽しくない。
世間話を始めても、続かない。

仕事をしていると、同じ職場というだけで、同僚や同期や上司と呼べる相手ができ、
それ以外にもさまざまな人と知り合うことができる。
そして、業務という共通の話題があるので、会話ができる。
その中で、相手のことを知ったり、私のことを知ってもらうことができる。
深く付き合うことに積極的でない私にとって、
業務時間内で付き合う間柄というのは、心地良い。

私は、いろいろと欠けていると思う。
ケチで、身嗜みを整えるのが苦手で、人と食事をするのが嫌いで、
融通が利かなくて、勉強することが嫌いで、生活能力が低く、
冗談が通じなくて、
でも、最近そういう自分が嫌いではない。

そんなことを、母に話したところ、
「職場の人が、今の光を受け入れてくれているからだろうね」
と言った。
ああ、そのとおりだと思った。
母に話すまで、
上記の心の動きは、単なる私のココロの成長と解釈していたけど
そうじゃないな。
成長したとして、その成長を促してくれたのは、周りの人(職場の人)だ。

さすがに愛されているとは言えないけれど、
今の職場で、私のパーソナリティを否定する人はいない。
こないだHさんに、あまりのケチっぷりを揶揄されたけれど、
保守のAさんに、服装についてケチをつけられたけれど、
そういうのを含めて、私は今の職場に自分の居場所があると感じている。
私は、私ひとりだったら、
自分のことをこんなふうには思えなかっただろう。
人は、人との関わりの中で、
自分のアイデンティティを確立していくのだと思った次第。


仕事のおかげで、私は世間とつながっている。

高橋源一郎氏による論壇時評(2013年9月26日朝日新聞)を読んだ。テーマは「働く母の権利」。

今回の評論の発端となっている曽野綾子氏の「私の違和感 セクハラ・パワハラ・マタハラ 何でも会社のせいにする甘ったれた女子社員たちへ」(週刊現代8月31日号)を、私は読んでいない。
読んでいないけれど、きっと、私の本心に近いことを書いているのではないかと想像する。
評論の中では、
   曽野さんは「産休」のような「女性をめぐる制度」は
  会社にとって「迷惑千万」だと否定していた。
   そういう制度を利用する女性は
 「自分本位で、自分の行動がどれほど他社に迷惑を掛けているのかに気がつかない人」
  だというのだ
と触れられていた。
産休という制度については私は特に何とも思わないのだけど(休めて羨ましいなんてことはまったく思わない)、子どもの医療費がタダとか子どもがいるだけでお金がもらえる(子ども手当)とか、子どもが生まれたら○万円もらえるという職場の制度とかの話を聞くと、結婚も出産もする見込のない私は損だなーと思う。実害を受けていない私がそう思うんだから、実際の現場の40代50代の男性社員がいろいろ思うところは、実際あるんだろう。(今、はっきり「害」という言葉を使ったけれど、「害」は「害」としてやっぱりあるんだと、思うのよ)

で、きっと曽野さんの発言は多少過激であるにしても、私の本心に近いかもしれないと思う。
だけど、私はきっと、それを読んでもスカッとしないだろうと思う。
代弁してくれてありがとうとは思わないに違いない。でもそれはなんでだろう。

私は自分の心の奥にある、“子育てしてる人だけが優遇されている(かもしれない)ことに対する腹立たしさ”を恥ずべきものだと考えている。正すべきだと思っている。私のほうが間違っているとわかっている。もし、曽野さんの主張が世論の主流になってしまったら、それはこわい。そういう世の中は不安である。

不安。
そんな世の中は不安。

曽野さんの主張がまかりとおる世の中というのは
他人に厳しく、できない人を排除していく世の中だ、と感じるのです。
それはきっと経済格差をもっと広げることになるとも思う。
   曽野さんのような恵まれた立場の人が、
  後輩である若い、働く母親たちを後ろから撃つような真似をすることは、
  ぼくには理解できない。
と高橋氏は言っている。
曽野さんは高みにいる人間だから、格差社会において上側の人間だから、言えちゃうんだろうな。

私は私で、いろんな「できないこと」を許されてこれまで生きてきた。
そういう経緯があるから、いろんなバリエーションの人に優しい世の中であってほしい、と思う。
私も、自分が許されることだけじゃなく
子育てしている人を広い目で見られるようになりたいわ。
そして、なりたいと願うことは絶対間違ってない。
広い目で見る必要はない なんてことは絶対ない。

水曜日にあった飲み会で、
家族(夫、妻、子ども)や、もうすぐ結婚する相手の話を聞いたりして、
ああ、つくづく私のプライベートって貧相だなと思う。ちょっとみじめになる。
「早めに退職したい」「できるなら仕事はしたくない」と言うのは、
仕事以外に使いたい時間がある、仕事以外に楽しいことがいっぱいあるからなんだろうな。
「もっと子どもの相手をしたい、一緒の時間を過ごしたい」ってのは、
私にはわからない感覚です。
どうやったらええんやろうなぁ。プライベートを充実させるには。
出会いがないなぁ、と思うものの、
自分からそういう機会を潰していっているのも事実ではある。
高校のOB会に出なかったり、イベントに出なかったり、
宿泊型の研修に参加しなかったり。
今、≪あー出会いがほしい≫熱が高まっている今は、
そういうのに参加しておくべきだったかとちょっと悔やんでいるけれども、
実際そういうところに参加したとして、そこでどんどん人と関わっていけるような性格でない。
うまく立ち回れる人間でない。マイナス効果が出る可能性も高い。
それに私は気分の波の上下が激しいから、一時の熱で手を出しても続かない。

何事もチャレンジよ!という意見もあるだろう。(やらない後悔よりやって後悔、みたいな)
でも人には向き不向きがあるしさ、
私はそういう社交的な場は苦手なんである。だから仕方ないんである。
だからそれができる人のことをうらやんでも、意味ないんだろうな。

てるちゃんも“すべき”じゃなく“したい”という気持ちを大事にするんだよ、と言ってたし。うん。
世間の価値観から早く解脱したい…・。



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『過食症の君と拒食症の僕』(THE BOOM)




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