ほんとにおもしろいことは竹筒の中に
バジルはこんなふうになってしまいました。
もう育つ見込みがないと思った時期に、 窓の外(おうちの外)に追いやられてしまった彼ら。 徹底的に、枯れていますね。 気候が暖かさへ向かう頃、もういちど、始める、かも? PR ![]()
米澤穂信さん(マイミクシィ)の小説『インシテミル』が映画化!びっくりだ。
こりゃぁ春からめでたい。 サンスポ.com 米澤さんの作品の中では、それほどお気に入りのものではないのだけれど、でも嬉しい。 キャストがめちゃめちゃ豪華なんですけど…大丈夫ですか(何が) ![]()
私の中には、「母に言われたから過食をやめた」とか「母のために過食をやめた」という思いが強いのだろう。
働いていたとき私の収入の大部分が食費に使われていた事実、 無収入の今、貯金を崩したり、失業給付や母の財布から過食代を捻出している事実、 嘔吐でからだが疲弊してしまう事実、睡眠不足で無気力な日々、 過食をやめることによって、それらから解放される希望 それを私は感じていない。 私が過食をやめるのは母に怒られないため 過食をしている自分は嫌いだけれど、 過食をしない自分にどれほど輝かしい未来が待っているか、あまり思い浮かばない。 なぜだろう、なぜかしら。 過食をこんなに忌み嫌っているはずなのに、 過食をしない自分の姿を求めていない? おそらく、「自己評価の低さ」というのがキーワードになっているのではないだろうか。 自分で自分を褒めることが苦手。 過食をしなくなったとして、過食をしなくなった自分を褒めたところで、喜びを感じない。 私は誰かに褒めてもらうことによって、ようやく安心するのでは。 自分で自分を認められない。 自分の短所を励ますことも、自分の長所を伸ばすことも、自分の未来に期待することも。 誰か!誰か!私を愛して。 私じゃあ私を愛しきれない。 愛されて初めて、私は愛される人間だと思えるような気がすると。 それは悲しい思い込みかもしれない。 恋愛で必ずしも幸せになるとは限らないし、 特に私のような初心者は痛い目に遭う可能性が高いじゃろう。 先日、『猫の形をした幸福』(小手鞠るい)を読んだ。 猫を中心とした夫婦の物語なのだけれど、 もし・もし私が結婚するとしたら、こういうタイミングで愛に出逢えたらかなぁ~と思った。 ![]()
みんな、生きがいを持って生きているわけではない。
私だけが空虚なのではない。 わかっている、わかっている。 みんなが、毎日一日中充実した時間を過ごしているわけではない。 ただ、けれど、私は「空虚な時間に過食をする」という癖を知っている。 だから、過食の欲求を上回る素敵時間が必要なの。 ほかの人より、素敵時間で日々を埋める努力をしなきゃならないの。 毎日を過ごすのが苦しいよ。 過食をすることも、過食をしないことも、今の私には苦しい。 過食をしないことは偉い。すごい。 けれど、違う。私は「過食をしない」ことを求めているのではなくて、 「何か」によっていつの間にか過食をしなくなる私、を求めているの。 誰か、助けて。 こういう気持ちを、自助グループで話すべきなのでしょうか。 私は、摂食障害の人たちが好きじゃない、嫌い。 嫌いなのに、そういう場でしか、私は認められないのでしょうか。 好きな人(ってまぁそういないんだけど)には認められない。 私が軽蔑する程度の人にしか、私の話は聞いてもらえないの。 そうかもね、ああそうかもね。私も所詮その程度の低レベルの人間だろうしね。 ![]()
今日も暇な一日が始まりました。
みんな、どうやって時間をつぶしているんだろうなあ。 母には「医学部行き!勉強しぃ」と冗談でも笑えないことを言われます。 嫌だって!もう勉強(特に暗記系)はしとないの!あほか。 そらな、「受験勉強」というのは、今私が香川に居続ける最高の言い訳になると思うんよ。 そして、どこかの大学に入れば一人暮らしを開始できる。 もちろんそれは、むつかしい医学部でなくてもいいんでしょうが、 将来性―地位・名誉・給料を考えれば医者になるというのはそれはそれは素晴らしいことでしょう。 自分のような摂食障害のひとを治したい、そう思って精神科医になりました。
それはなんて美しい話でしょう。 今の暇な時間、受験勉強に充てるというのは、とてもまっとうなことだと思います。 でも、したくない。したくない。勉強なんてしたくなーい! ああー、でも今日も明日もあさっても、ひ・ま ![]() |
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