ほんとにおもしろいことは竹筒の中に
母に言われました、「光(私のこと)の世界は閉じている」
私は思いました(そして母に言いました)、「私は世界と母を通じてしかつながっていない」 退職して実家に戻って以降、私が接しているのは母だけ。 買い物にも行くし、図書館にも行くけれど、精神的にはひきこもりとおんなじか。 「だったら働きに行けばいいの?」 しかし、考えてみれば、仕事をしていた2年間も、私の世界は閉じたままだった。 私は世界を閉じたままだった。 会社で何人の人に会おうとも、人間関係を築いていたとはとても言えない。 (もちろん今の状態よりは開けていただろうけれど) 母曰く、「光はシャッターを閉じている」 私は、シャッターを無理やりこじ開けてくれるひとを待っている。 しかし、それは難しいことらしい。らしい、っていうか自分でもそれがそうそう起きないことはわかっている。 起きないまま15年近く経ってしまったものね。 母は私にもっと外へ出かけてほしいと言う。 もう少し着飾って、外に出て、人と触れ合ってほしいと言う。 私には、着飾ることに魅力を感じない。 外に出ることにも興味が湧かない。 そして、人と触れ合うことさえ、望んでいるのかわからない。 しかし、恋人はほしい。 母に替わる、理解者がほしい。 もう、母はええねん。要らんねん。ほんまはもう、要らんねん。 でも、今母がいなくなったら、私はひとりぼっちになってしまう。 だから手放せない。 母と同等に、私を構ってくれる人というのは存在しうるのだろうか? 存在したらしたで、それはちょっと異常な関係なようにも思う。共依存的な。不健康な。 何せ不健康な私が欲しているのだから。 私の話を聴いてくれる人、私の不機嫌を受け止めてくれる人、私が寝てばっかりいても怒らない人。 私がすすめることを快く受け入れてくれる人。 話がおもしろい人。私が話すおもしろい話に笑ってくれる人。 不健康な私は、 母以外の、異性1人と2人だけの世界の中で生きたいと思っている、かもしれない。 会社に雇われて、ばりばり働くことはOK。望んでいる。 今のように寝てばっかりを希望してはいない。働きたい。 だけど、雑多な人間関係の中に身を置くことは、希望していない、ような気がしないでもない。 ゆうじん… ゆうじん… ゆうじん…ってなに? 私は支えが欲しいのであって、 それ以外の瑣末なことは排除したい。 無駄なことはしたくない。 より効率よく自分が心安らげるように生きたい。 それには恋人が手っ取り早い、という考えに行き着く。 なんて、都合のいい恋人。 恋人という存在を知らないがゆえに、あらゆる願望をそこに押し付けているなあ。 あらゆる願望をそこに押し付けて、 あらゆる苦しみをそれ以外のせいにしている。 = 今の苦しみを恋人がいないせいにしている。 PR |
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