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ほんとにおもしろいことは竹筒の中に
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27歳の誕生日に母に怒られたのです
「過食、いい加減にしい」って。

私が退職して香川に戻った2009年8月以降、 昼食は過食しない・夕食は過食嘔吐モードな毎日を送っていました。
昼食を過食しない、というのは私なりの努力であったけれど、
普通に会社勤めしているときは当然出来ていること。 会社を辞めたからといって過食量が増えるなんて一刀両断。
母にしてみればシンジラレナイ
仕事という時間潰しがない中で、昼食後過食嘔吐に至らないのは 私なりの努力なのだけれど、
母にしてみれば、だったら会社辞めんなってことだったのでしょうか。

27歳の誕生日である2009年10月8日は、ほんとうは神戸に一人旅に行く予定でした。
それが天候不良で中止になり、 私はその虚脱感から「昼食」から過食嘔吐をしていたのです。
それを見た母がキレました。

「過食をやめんのやったら、家を出て行って。 選考中の地元市役所の採用試験を辞退して」

私は地元市役所への志望度がそんなに強かったわけではない。
また、2009年10月8日当時は筆記試験の選考が通っただけで、 まだ≪集団討論≫≪個人面接≫が控えていた頃―つまり私が【選べる】立場にまったくいない。
しかし、「筆記試験の通った求人募集を反故にして、家を出ろ」、という母の叫びは 私にとって強く抗いたいものだった。

就職できるかもしれない可能性をみずみず捨てることはしたくない。
採用試験はそのひとつひとつが疲労を伴うもので、だから反故にしたくない。

それで、私は過食症になって以降初めてといってもいい。
母に提案した。

「過食をやめる」

母に「過食いい加減にしろ」とはずっと言われ続けてきた。態度で示されたことは幾度とある。
その都度私は
「過食は自然とおさまるってみんな言うてる。
私は今自ら治そうとは思わない。―自然とやむのを待っている時期なのだ。
今はまだやまらない時期なのだ」

と言い続けてきた。
このときも、私がやめなければと強く思ったわけではない。
強く思ったとすれば、採用選考を辞退するのは嫌だということ。

私が1回の食事で食べる量はとても多い。
足りなかったら市販のものでまかなう。
市販のものは高いから、母がとりあえず大量に作る。
母が作ってくれた大量のおかずをたいらげ、吐く。
そういう日課。

それで足りなければまだ食うし、 吐いて次に腹が減れば第2陣。そういう生活。
私が「過食をやめてみる」ための足がかりとして、母にもひとつお願いごと。

1回分の食事量をきちんと定めてほしい。

そうして、過食をやめてみる試みを始めたのでした。母もそんなことならお安い御用、と昼食・夕食に力を入れてくれた。

 医師にそのことを話すと、大変驚かれ、しかしそれは大きな一歩だと評価して下さった。
そして、やめるなら徹底的にやめるよう努力した方がいい、と言った。
多少しんどい思いをしたほうが、やり遂げたときに達成感があるから、と。

そして、「過食」という行為は身体的にも精神的にも習慣化しているだろうから、 一切断ち切ったほうがその依存から脱することができる。
一生過食嘔吐をしないのではなく、 まず3ヶ月やめてみる。
そして、自分に過食がなくても大丈夫だという自信が付いたら、 時折、ガス抜きのような役割で過食という趣味を持つという選択もある。 そういうふうに言われました。

結果から言うと、3ヶ月もやめるなんてことはできず、 もってせいぜい4,5日。
過食嘔吐してしまって、また2,3日経つ。
過食しない日もあり、過食する日もある、そういう感じになってしまっています。
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