ほんとにおもしろいことは竹筒の中に
『朝霧』(北村薫)を読み終えた(再読。多分2度目。)。(文庫版 )
北村薫に出会ったのは、おそらく中学生の終わりの頃。 “受験勉強をしなければならない”という気持ちからの逃避で読書を始めた。 “受験勉強”という行為からの逃避ではない。 日常の謎を解き明かす、“円紫さんと私”シリーズの、おそらく最終作(1998年4月初版)。そうか、その頃(1998年)にはもう私は高校1年生だった。このシリーズで、この作品だけ、我が家に単行本で存在する(ただしBOOK OFFのシールが貼ってある[¥700]/定価¥1,400)。 改めて読み出したきっかけは、 『夜の蝉』(文庫版)文庫版の初版1996年:どうやらこれは定価で購入したらしい)。 日本推理作家協会賞受賞作全集 (65) 検索して、 先程日本推理作家協会賞受賞作全集としてのこの表紙を知った。なんか、イメージちゃうし! “円紫さんと私”シリーズの第1作(にして、北村薫デビュー作) 『空飛ぶ馬』は再読した“記憶”があり、収録されている3作とも、ストーリィを今も把握していたので、その次の、『夜の蝉』から読み返し始めた。 それで、はーと溜息をついたわけです。 すっごくすっっごく、おもしろい。 推理小説とかミステリとしてどうこうってわけじゃないけれど、私はミステリファンでもないし、あーだこーだ言うタイプじゃない(少なくともミステリに対しては)。 描写が、美しい。 母は、北村薫の文章を上手いと言う。それも、わかる。この人が綴る日本語は、美しい。 私が感じる、この小説の“美しさ”たるものも、それに起因しているのかもしれない。ただ、洗練された文章に触れる喜びに感じ入る。上手い日本語、下手な日本語を見極められるほど、私は確立していない。この表現、この比喩に恐れ入った!と思うほど、比較サンプルを持ち合わせていない。 ここの文章でこれ(表現なり比喩なり)を使うか!と唸るほど、読書量は多くない。 ただ、ちょっとした仕草に対しての丁寧な描写に、私は、著者が、日本語を愛していることを感じ取る。私も愛したいと思う。思わせる。 日本語を操るなんて、傲慢なことは言わない。綴らせてくださいと願う。 ストーリィも、勿論おもしろい。 最初に読んだときは思わなかったが、北村薫の作品には≪悪意≫が一つのテーマとして根底にある。 人がある事柄を謎と思うとき、そこには、人為的な細工が、悪意の潜んだ細工が施されている(ことが多い)。 それは身震いすることでもあるが、それが人間でもある、と思う。 再読し損ねている『秋の花/(文庫版秋の花)』と『六の宮の姫君/(文庫版)六の宮の姫君』(画像は文庫版の表紙)は今回紹介した2作と異なり、長編スタイル。でも読んでみましょう! …と言いながら、借りてきたのは『街の灯』という短編集…… 街の灯(右が文庫版) PR |
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