ほんとにおもしろいことは竹筒の中に
夏から、このBlogを野外調査日記にしていたのだけれど(知ってた?)、野外調査も終わったことだし、さぁどうしよう。
って、まだ学会はあるし、最終目的の修士論文もあるし、その間々にゼミ発表はあるし、大学には当然行き続けるわけだけれど、私としてはイベントはもう終わってしまった感じ。 過去において…このような、いわば“燃え尽き症候群”で学部4回生のときは数週間、M1のときは数ヶ月、沈みました。“沈む”という言葉では片付けたくないし、野外調査の終了だけが原因ではなかったけれど、おそらく1つのきっかけしてあったでしょう。 ちなみに、(当然のことながら)“野外調査も終わったし、息抜きするべ”“しばらく学校行かんでええやろ”と自ら海底にもぐるわけではありません。 文頭の“さぁどうしよう”は、これからの所存ではなく、このBlogの形に対してナリ。 当初の目的ほど、野外調査としての更新を果たせなかったので、悔いは残りますが(後から見直して、自分が修論を書くときの参考にできるくらいの日誌にしたかった)。 私はある一面から見れば、とても要領のいい子に見えるでしょう。どっから見ても器量のいい子には見えませんって?ハイハイ。 昨日の修論中間発表にしたって、スライドは不完全、発表内容は不出来、質疑応答はしどろもどろ、ながら、それで虐げられるような環境にはいない。そういうぬるい環境にいるわけだけれど、そこを選んだのは自分。脱皮を強いられるような場所を選ばない(それが人間的成長にいいか悪いかは別…というか成長という点ではマイナス)<私が望んだとしても、入れなかったという推測の方が正しいが、その努力すら最初からやっていない。私は自分が生きやすいような環境を自ら整備してきた。最初から言い訳を用意して、用意どころか提示して、楽をしながら、楽を選び、1日1日を気ままに生きている。 そういう私を見て、去る人はいるだろう。陰口を叩く人も、間接的に批難する人も、直接批判する人も、いるだろう。 ただ、私は他人の評価を気にする分、他人への観察眼が鋭いことは自負している。私が好きになった人は、私が好きになるだけの、私にとってだけではない人間的魅力を備えている。だから、きっと私が本当に好きな人は去らないだろう。 もし去ったとしたら、それは一面だけではない、もっと深い部分で私を嫌った結果であろう。<その方がショックだよ ここ以外では、mixiで日記を書いているけれど、その日記に記すような内容をこちらへ移動するか、別の目的でここのBlogを使うか、止めるか、検討中。 PR |
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