私の中でまだ整理がついていないので、詳細は書かないけれど、3月実家で過ごしている間に多数の人に迷惑をかけてしまった。
祖母も迷惑を被ったひとり。
両親に言われて、お詫びの手紙を送ったのはつい先日(ようやく)。それもいい文章が思い浮かばないから、ほとんどその文面を母に考えてもらった。
その返事が、今日届いていた。
「…
此の世で起きたことは此の世で仕舞いがつくのです。
…」
涙が出た。沁みわたるようだった。
それは諦めではない、―慰めはちょっとある。
物事、特に失敗ごとも、所詮この世で起きたこと。
起きる前から“どうせなんとかな~るだーろぉ”は浅薄だけど、ことが起きてからのこの言葉の重みはなんだろう。年の功?<こら。
少し、ほんの少し、おばあちゃんはそうやって今までのことをやり過ごしてきたのかな、なんて思った;言うなれば憐れに思った。
でもそうじゃないさね、そうじゃなくて、でも私にその言葉を掛けられるくらいの経験をおばあちゃんは持っているんだ、ってね。
ありがとう、おばあちゃん。
文章はお母さんに借りたけれど、
“今は情けない気持ちでいっぱいだけど、
一日一日を頑張っていつかおばあちゃんにも胸を張って
「こんなちゃんとした大人になれましたよ」って言えるようになりたいと思っています。
だいぶ時間がかかると思うけど、長生きしてください"
の言葉に嘘はないから。
PR