ほんとにおもしろいことは竹筒の中に
私は昨日、かるい鬱傾向で一日中寝ていたのだけれど、外は風が強かった。風の強さを表すのに適当かどうかはわからないが、朝、雨が降っているのかと思ったくらい(隣でホテルだかマンションだかの建設工事をしていて、ビニルが張り巡らされており、風でバシバシ音が鳴る)。
寝ても寝ても眠い、身体がだるい/今日やろうとしていたことが何一つ進まない、というのは私にとってつらい状況ではあるが、それでも生きていける。 生きていける、には違いないが、今日、学校で、後輩の話を聞くと、昨日はバイトで一日中外に立っていたらしい。さぶかっただろう、つらかっただろう。気温が低いからといって時給が上がるわけでもなく。 そのような話を聞くと、私が言う「つらい」など所詮あまいのだと思い知らされる。 社会人から見れば、私の話はおろか、後輩の話でさえ、しょぼいのかもしれない。それが社会人という立場ゆえなのか。どこで、皆はその切替ができるのだろう、してきたのだろう。 サラリーマンNEO DVD-BOX PR
大学の昆虫学研究室が持っている土地(なのか?)に野菜の苗を植えている人がいた。ちゃんと開墾して。
「採っていい」と言うので、夏場にはそこでトウガラシやナス、ゴーヤ、ピーマンなどを頂戴した。自分で植えていないどころか草刈りもせず、水遣りもせず。 ただ、植えた人は植えた人で植えただけで満足したらしく、放置。野菜はどんどん腐っていくし 草刈りは、研究から逃避したい人たちが時折おこなっていたようだ。 ただ、先週…だったか、に皆(全員ではないが)でいも掘りをした。さつまいもまで植えていたとは。落花生も植えていたらしい。 とにかくでかい。 「これは…焼き芋は無理だね」(でかすぎて中心まで火が通りそうにない。また事前に食べた人曰く「甘くない」→調理向き) どうやら、その日に3個ほどを使ってさつまいも入りカレーを作ったらしい(行っていない)。 さつまいもはまだたんとある。私はそれ以来、畑に行っていない。 ただ、いも掘りのときに、違う場所で生っていたハバネロをいくつか収穫した。 それを冷凍していたのだが、昨日、カレー作り(やっぱりカレー)のために使った。解凍するために30秒ほどレンジでチンしてから、刻む。 むせる。こほっこほっという咳が出る。 辛さのなせる業らしい。ただ、食べていないので辛さは感じない。でもカーっと言いたくなるんだこれが。 さすが、ハバネロ。 カレールゥがなかったので<バカ、半分取ってシチューにした。ホワイトシチュー。具はたまねぎとハバネロ。 にんにくと生姜がほしいところ。<なんか違うでしょ お味は、 や、そんなに辛くないですよ。 うーん、舌が麻痺しているという可能性もあり。 ネットでも販売しているらしい↓ ハバネロ栽培キット
小説『嫌われ松子の一生』読了。
おもしろかったです。ドラマを見ている分、松子がどうしても内山理名になりますが、特に支障なし。
でも、そんなに喜劇タッチじゃない。小説の表紙のフォントは確かに、軽やかですが。 だから、これを喜劇に仕立てた映画はすごいと思う。 ということは…ドラマは原作をドラマ化したのではなく、映画をドラマ化したのでは? どっちゃでもええんですけど。 あと、11回の連続ドラマをするために、エピソードを伸ばーし伸ばーししているのだよ(小説の中では触れられていない期間をあえて映像化)。蛇足なんじゃないかなと思うのだよ。
ドラマ『嫌われ松子の一生』
おもしろい!今回第四話。 三話だけ見逃し。先週は『みなさんのおかげでした。』のまま、『Dr.コトー』が始まって、うんざりしてテレビを消した。そうか、松子は木曜だったのか。 一話、二話は、まーまーおもしろい?という感想だったけど、今日はじっと見入っちゃいました。クサい場面はあるんだけど、だけど、おもしろい。みて、しまう。目を離せなかった。なんでだろう…本当に、何故かがわからない。そこが、すごい。 母は、映画を観たらしい。 嫌われ松子の一生/邦画 愛蔵版 [通常版] 図書館に行ったら、ありました。早速借りました。でも、まだ読むべき本があるので読めてません。楽しみなような不安なような。 ドラマは見続けます。映画(のDVD)も見たいな。 でも内山理名って演技うまいね!コミカルな表情が巧い!!
『朝霧』(北村薫)を読み終えた(再読。多分2度目。)。(文庫版 )
北村薫に出会ったのは、おそらく中学生の終わりの頃。 “受験勉強をしなければならない”という気持ちからの逃避で読書を始めた。 “受験勉強”という行為からの逃避ではない。 日常の謎を解き明かす、“円紫さんと私”シリーズの、おそらく最終作(1998年4月初版)。そうか、その頃(1998年)にはもう私は高校1年生だった。このシリーズで、この作品だけ、我が家に単行本で存在する(ただしBOOK OFFのシールが貼ってある[¥700]/定価¥1,400)。 改めて読み出したきっかけは、 『夜の蝉』(文庫版)文庫版の初版1996年:どうやらこれは定価で購入したらしい)。 日本推理作家協会賞受賞作全集 (65) 検索して、 先程日本推理作家協会賞受賞作全集としてのこの表紙を知った。なんか、イメージちゃうし! “円紫さんと私”シリーズの第1作(にして、北村薫デビュー作) 『空飛ぶ馬』は再読した“記憶”があり、収録されている3作とも、ストーリィを今も把握していたので、その次の、『夜の蝉』から読み返し始めた。 それで、はーと溜息をついたわけです。 すっごくすっっごく、おもしろい。 推理小説とかミステリとしてどうこうってわけじゃないけれど、私はミステリファンでもないし、あーだこーだ言うタイプじゃない(少なくともミステリに対しては)。 描写が、美しい。 母は、北村薫の文章を上手いと言う。それも、わかる。この人が綴る日本語は、美しい。 私が感じる、この小説の“美しさ”たるものも、それに起因しているのかもしれない。ただ、洗練された文章に触れる喜びに感じ入る。上手い日本語、下手な日本語を見極められるほど、私は確立していない。この表現、この比喩に恐れ入った!と思うほど、比較サンプルを持ち合わせていない。 ここの文章でこれ(表現なり比喩なり)を使うか!と唸るほど、読書量は多くない。 ただ、ちょっとした仕草に対しての丁寧な描写に、私は、著者が、日本語を愛していることを感じ取る。私も愛したいと思う。思わせる。 日本語を操るなんて、傲慢なことは言わない。綴らせてくださいと願う。 ストーリィも、勿論おもしろい。 最初に読んだときは思わなかったが、北村薫の作品には≪悪意≫が一つのテーマとして根底にある。 人がある事柄を謎と思うとき、そこには、人為的な細工が、悪意の潜んだ細工が施されている(ことが多い)。 それは身震いすることでもあるが、それが人間でもある、と思う。 再読し損ねている『秋の花/(文庫版秋の花)』と『六の宮の姫君/(文庫版)六の宮の姫君』(画像は文庫版の表紙)は今回紹介した2作と異なり、長編スタイル。でも読んでみましょう! …と言いながら、借りてきたのは『街の灯』という短編集…… 街の灯(右が文庫版) |
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