ほんとにおもしろいことは竹筒の中に
「
![]() ![]() 過食をしない、にあたって、"母に1回の食事量を決めてもらう"ようにしました。 ただ、それを始めた直後の週末(体育の日絡みの連休)、父と母が小旅行に出かけ、その間はやりたい放題(過食三昧)でした。 それ以降は「過食をしない」を再開… けれど、夕食を食べ終えた後、何もすることがない私は、たいてい横になるしかなく、 そうすると、「食べてすぐ寝ると牛 ![]() ちょびっと吐くようになりました。母には内緒で ![]() 医師にはそのことを話しました(「夕食後は太るような気がしてちょっと吐く」、と)。 医師曰く「ちょっとダメなところがあるのはむしろ良い」とのこと。 「過食をしない」を始めた頃は、精神的にも快調 ![]() 私の食事―過食―は母の指摘どおりやはり習慣化したものがあって、 吐かずにはいられない、吐かずにはいられないほど食べないときがすまない、という精神状態&食べ方になっており、 「正常な食べ方がわからない」 「正常な量がわからない」 という状況でした。 だから、母に量を定めてもらい、それだけを食べるというのは 私にとってすごく楽でした。 「ああ、満腹だ」、と感じることを喜びに感じました。 満腹であることに喜びを感じる自分を嬉しく思いました。 一方で食事の後、何もすることがなく、空虚に感じることは続いていました。 けれど、それを過食で埋めるのはまったく無意味なことだとすら思っていました。 スーパーに行って、母に頼まれたものだけ買うというのは なんと少額で済むことか。なんと健全な買い物だろう ![]() 空虚を過食で埋めるのはまったく無意味なことだと思っていました。 それが、なんでだろう?いつの間にか、空虚を過食でしか埋められなく―元に戻りつつ、あるのです ![]() 私の満腹中枢にヘンなところがあるのでしょうが、 例えば、母が出してくれた量を食べ終えて、まだ食べ足りないとき、 吐くとそれまで感じていた空腹感がすっと消えるのです。 若い子の多くは体重を気にしていて、 それゆえに毎回の食事を満腹になるまで食べているわけではない。 ちょっと食べ足りないなというぐらいでやめることもしばしばだろう。 だけど、私は満腹にならないと気が済まない ![]() 食べ足りないという思いがあると、気が散って仕方ない ![]() ![]() しかし、しかし、徐々に食べる量が増加している。 母も、栄養士ではないので、自分が盛る量が絶対的なものではないから、 私が「物足りない」と言えば、「おかわりすればいい」と言ってくれます。 そのせいではないと思うけれど、徐々に食べる量が増えている。 満足するまで食べたい。
しかし、私が満足するまで食べた量は多過ぎる。 それで、食後に吐くということが常態化してしまいました ![]() 食べる量が多くなるほどに、吐く量も増えました。吐かずにはいられなくなりました。 そして、吐いた後、再び何か食べたくなるようになりました。 その「何か食べたくなる」欲求を抑えることができる日もありましたが、 いつからでしょう、その欲求に抗わない日も出てきました。 過食をしないと決めたのははっきりしているのに、 過食をしてしまった日のことはもう朧げです。 母に隠れて吐き、母に隠れて食べました。 母は火・水と塾のバイトに行っています。 まず、火・水の夕食後に過食をするようになりました。 リビングに父がいるときは、2階に食料と嘔吐用のバケツを持ち込んで。 空虚を過食で埋めるのはまったく無意味なことだと思っていた日もあったのに。 今は空虚を過食で埋めたい気持ちでいっぱいです。 …いっぱいじゃあないかな。いっぱいじゃあないかも。 でも、空腹時とか、"めっちゃ食べたい!"と思うし、そして空腹時にスーパーに行くとめっちゃ買い込んでしまったりする。 食後、"ああ今から何しよう"―満腹のときは過食の衝動はありません。けれど、「ああ、今過食という時間潰しができたらな、過食で時間を潰せたらな!」と思うのも事実なのです。ああ、お馬鹿さん ![]() つづく、かな? PR ![]() ![]() ![]() |
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