昨日母と話していて思ったこと:もしかしたら今の状態は"試されている"のかもしれない
何も言わないでいるとき、こいつら(=私たち)はどう振る舞うのか(あるいは振る舞わないのか)、を見ているのではないか、
母曰くそんなに無意味に放置するだろうか、と。見ていないはずがない、と。
もしそうだとしたら、その中で私は振る舞いをしていることになる。びくびくびく。
でも、だからと言って、そう試されているからといって来週から積極的に質問できるかと言われれば、NO / No, thank you. / No Good. (...?)
「教則本でも買ってひとりで勉強したら?」―他人に聞くことが出来ないなら、せめて独学をというわけだ。
それいいね!よし、明日本屋へ行こう!割とすんなり前向きにそう思えた。
確かに、配属されて後(配属がうまく進めば、の話だけどぉ)、私から話しかけにくい環境の中、何もすることがないときに、ひとりで突っ立っていて(ぼーっと座っていて)もダメだってこと、頭ではわかっていた。わかっているのにここでできていないのは、心の中に、"今は研修中だから"という思いがあったから。
向こうが私を教えてくれて当然という気持ちがあった。
ただ、その一方で、相手は私のことを見放して・持て余して・どうでもいいと思っているようにも見受けられたのも事実。だって、"私なんかに質問されても無駄、私なんかに質問されても答えるだけ面倒"というふうに見えるんだもん。
だけど、そこで食らいついていかなくちゃならなかったのかもしれない。確かにどんな職場に行かされるかわからない。面倒くさそうな人にでも"そんなの知ったことか"、と自分優先!で、「教えて☆教えて☆☆」とせがむことを求められているのかもしれない。
鈍感さ・押し付けがましさが求められているのかもしれない。
そういうのが大人力?
そういうのは苦手なので、苦手なのさ!
私なりのやり方として/私ができる範囲として、本でも買ってひとりで勉強しませうと。
でもやっぱり試されているのかしら、あれで試しているつもりなのかしら、どうなのさ!どうよ!!
ほんで今日。本屋に行く前にamazonでCATIA関連書籍をチェック。
高い。
和書だけだと数も少ないし、5000円以上する。しかも上巻だけで。上下揃えたら1万円超す。ありえないって!
だってー、私がCATIAを使う職場に配属されるとは限らないし、技術ミーティングがいつおこなわれるかもしれない(来週月曜に行って即予定が入るかもしれない)、CATIAツールは自分のPCには入っていない(家では勉強できない)。
そういう葛藤(?)を母に電話した「どう思う?」。
母「買ったらええやん」
なるほど。買うことにする(私、わりとなんでもお母さん)。
地下鉄で名古屋へ。
結果:大きい書店を2つ回ったけれど、CAD関連はたくさんあったものの、CATIAに関する書籍はなかった。
思うに、CATIAは何百万とするソフトウェアらしいので、一般人がその教則本を求めて購入することはないのだろう。
名鉄百貨店の紀伊国屋書店から、タカシマヤの三省堂書店に向かう途中、ふとナナちゃん人形を発見した。
デジカメを持っていなかったので、画素数の少ない携帯電話で撮りました。
目とか書かれてないのね、ナナちゃん。
感想。全然でかくないじゃん。もっともっと大きいと思っていたよ。
確かにハチ公に比べたら大きいけど、それでもこれはナナちゃんを知らないと待ち合わせ場所には使えないって。人間の3倍くらいしかないじゃん。私、5~6倍、あるいは12階ぐらいの高さからでも確認できるもののだと思っていた。期待しすぎ?
そのあと、掃除機を買いにビックカメラへ。でもサイクロンと紙パックの間で悩み結局買わず。
何も買ってない、来週からについて何も前進してないよ!
はぁ~休みっていいなぁ。予定なくても休みっていいなぁって思ったよ。
明日から気が重いなぁ
PR