昨日は、久し振りに、起きたら13時だった。
最近早起きの癖が付きつつあっただけにショック(早起きといっても、9時前後だったりすることも多いけど)。
起きてからも動作が緩慢で、14:45からのゼミにはぎりぎり間に合った。
昨日のゼミは、Y研のM1(つまり1コ下)の2人の中間発表。
こういうとき(13時まで寝てしまうようなとき)はいくら寝てもしんどさが抜けず、身体が重く、そしてまだ眠気がある…つまりよろしくない体調なのだが、直系の後輩(同じゼミ、という程度の意味)なので、寝るわけにはいかない。レベルの低いプレッシャ。
ただ、2人の発表や質疑応答で寝なかったのは、そういうプレッシャからではなく、発表そのものがわかりやすくおもしろいものだったからだろう。
それに比べて、2週間前の私の発表は、わかりにくく、つまらないものだったろう。
Y先生が持っている研究テーマに沿った実験をおこなっている、という面もあるだろう。主題が明確だから話がまとまりやすい。
でもそれは私のひがみに過ぎず、彼女たちは努力をしている。
アズキゾウムシの研究のMさんは、過去何度も口頭で説明されてきた研究の意義や実験方法をパワーポイントを使って図やアニメーションを使った流れで非常にわかりやすくまとめていた。
←アズキゾウムシ
←アズキにいるアズキゾウムシ
クワガタ類付着性ダニ類の研究のYさんは、クワガタやダニの画像を多用することで、その違いを明確に示していた。
※クワガタナカセ(ダニのこと)の画像はなかった。
昨日は、学校から帰りながら、ネガティブなのかポジティブなのか、いろいろ考えてしまった。
おそらく、私が持っている、私がこの3ヶ年で収集したデータはそれなりに意味を持っていて、努力した結晶―宝としての価値もあり得ると、思う。
“努力”という言葉が適切かどうか、わからないけれど、怠けながら、息抜きしまくりながら、落ち込みもしながら、それでもできる範囲でやったという自負を持っている(あるいは、もう調査をすることがないから、なんとでも言えるという開き直りか?!)。
特に今年、やたらこだわった幼虫の体重測定の、具体的な意味付けの方向性を私はまだ見つけられていない。ただ、“なんか使えるかもしれない”という思いでやっていた。そして、きっとなんかに使えるはずなのだ。
それなのに、私はまだその鉱石を磨ききっていない、とか思っちゃった。
学会に間に合わないにしろ<既に諦めてる、修士論文に生かせるだろうか。活かさないと、私の過干渉によって死んだ幼虫たちも浮ばれないだろう。
ただ、私が研究をおこなうのは、幼虫たちの成仏のためではなく、自分のためのはずである。
ほーら、やっぱり私って書いていることにまとまりがない。結論があやふややねん!
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