昨夜→今日は、眠れず、引越し早々過食をしてしまった。ものすごくイヤだ。
4月初日未明の名古屋をぶらぶらほっつき歩いて―コンビニを転々としながら、コケて左足の膝に擦り傷を作った。
朝。食パンはあるけど、トースタがない。電子レンジはあるけど、オーブン・オーブントースタの機能が付いてない。ふぅ。
私は大きな借金のある身で(返済型奨学金やその他もろもろ)、家の経済状況も芳しくなく、それでもやはり非常にめぐまれていると思う。
駅まで徒歩11分、駅まで約700m、駅前には有料駐輪場、駅まで直線距離1km以内はバスの利用は認められない、今の住まいはあくまで研修時の仮住まい、本当の引越しは“実家から配属先”のただ一度だけ、そんな中で、今日やることは自転車を買うこと。
淋しいから過食をすると、私は言う。過食が私のストレス発散であると、私は思う。
しかし、過食をしなければ、私はもう少し寂しくない夜を過ごせるだろう。
過食をしなければ、私のストレスは軽減されるだろう。
財布には余裕ができ、早起きもでき、仕事に楽しみを見出すか、あるいは仕事を苦痛に思いながらも、それ以外で楽しみを見出し、その楽しみに興じることが出来るだろう。
私はいったいなんのために、夜のコンビニでサンドイッチを買うのだろう。
どうして元気のない声を日曜の朝に母に聞かせてしまうのだろう。
私は恵まれている。
私は幸せな処遇にある。
なのに、なぜ。
裕福ではない。しかし、恵まれている。
私はまだ心底しあわせだとは思っていない。しかし現位置は非常にしあわせな場所に在る。
明日の入社式の持ち物を確認したら、いろいろ実家に忘れてきたことを知った。どうにかなるだろ〜と思っている。
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