ほんとにおもしろいことは竹筒の中に
日曜日、NHKスペシャルで『論文捏造〜夢の医療はなぜ潰えたのか〜』を見た。これは、ヒトクローンES細胞を作成したという画期的な科学論文が、実は全てが捏造である疑惑が持ち上がった(確証されている?)という事件の深層を追うものであった。
最後「論文の捏造は相次いで起こっている」とナレーション。 今回の事件は最新の治療技術を待ち望む難病患者を始め、世界中の人々を裏切り、世界の再生医療研究に計り知れないダメージを与えたからこそ、これほど大問題になっているのであって、どうやら論文の捏造というのは、少ないことではないらしい。 だからいいってもんじゃない。 んだけど、 卒論のデータや去年のデータを見てても、よくわからん。 いちいちチェックしてたらキリがないっ だけど、きちんとまとめていない自分が悪いの、とひとつひとつデータを辿っていくと、同じラベル番号は現れるは、あり得ない体重値も出てくるし、存在しないはずのラベル番号なんてざら。 前後にあるデータや、私がやりそうな間違いを推測しながら、“んー、これはきっとこういうことでしょう!”とえいっとデータを書き換えたり、でもそうするとやはり矛盾が生じてきたり、書き換える前はなんだったのか戻るので、また一苦労。 何が最初で、何が今回新しくわかった(記入漏れなど)情報かわからない(しくしく)。 もちろん一番知りたいのは、何が正しくて、何が間違っているか。間違いだらけでもいい、(この際)。間違っている事実だけでも知りたい…(ごてごてじゃぁっ)。 そういう操作(しーっ)を重ね過ぎているのか、元がシンプルだったのか、案外と卒論データはまとまりつつある(いまさら?)。だけど、まとまって終わってしまいそう。何もわからなさそう。ハイ、おしまいって感じ。 そして去年のデータが、もうダメね。こりゃ使えんかもよ。どうする?一応フィールドノートに数値を書き記してはあるのだけれど、どうも信用できない。当時の私を信じられない。 論文の捏造をおこなう大先生などは、おそらく立証したい仮説があって、それに添うようなデータを作ってしまうのだろうが、私は、ただ混乱しているだけである。
昨日、Y先生に学会で泊まるビジネスホテルなどについての提案があった。私を含む学生3人が、今度の学会に参加する。学会費と懇親会費併せて9,000円。宿泊は2泊で併せて7,300円。(岡山までなら学割は使えまい)
―どの学会にも“懇親会”なるものが存在する。 しかし、私が学部4回生のときに観光気分で付いて行った生態学会では、女学院生&E先生は懇親会に参加されなかった。懇親会に出る権利のない私を気遣って、ではない。参加しようかなぞ最初から考えてもいない様子だった。E先生はそういうものをしがらみと思い、鬱陶しいと感じるタイプだ。「懇親会なんて疲れるだけだ」 Y先生や学生との打ち合わせの後、残って、先生に話をする。 「私は、修士以降、何も決定していないが、今のところ進学は考えていない」ということを告げた。それに関しては特に何を言うわけでもなくふんふんと聞いておられた。 「私は人と長時間過ごすのが苦手で、今度の学会は、シングル部屋で2泊だから少しほっとはしているのですが」―本心は、私だけ1泊にできないものか、と思っていた。しかし、言い出せなかった。 「懇親会には出ないとだめですか」 私は元々懇親会には出ないだろうと思い込んでいたので、先程学会費懇親会費併せてで請求されて戸惑っていたのだ。 Y先生の回答は「出たほうがいいと思う」。 「学会は、特に若い人は発表することが重要だと思っているけれど、人脈を増やす意味合いも大きい。懇親会で馴染みになって自分の発表を見に来てもらうようお願いしたり、またその場で研究の話をしたりすることができる。 基本的に、僕(Y先生)の傍にいてくれればいいし、僕からいろんな人に紹介するつもりだから。 もちろん強制ではないけれど、 それこそ最初で最後の学会になるのならば、多くのことを経験したほうが いいと思う」 ここでも改めて、Y先生とE先生の違いを感じた。どちらがいいとか悪いとかは別にして(このケースでもE先生のほうが好きだと私は思うが)。 最初で最後の学会なら、別に紹介される事に私はメリットを感じないとは思う。一方で、最初で最後だから、経験できる事はやっとこうかと思わなくもない。 ただ、何が出るのか知らないが、懇親会費は学会費と同じ4,500円。それに見合うほどの楽しみは得られないだろうと最初から感じている。 けれど、今日ちゃんとY先生に9,000円支払った。 2泊だってするつもりだ。
英語、読まなくちゃならないことにしました(なりました、ではないのよ...)。卒論で使ったかなりこじつけなデータと再び向き合わなければならないことになりました。2年前の私にドロップキックです。今の私にも、ですね。
今日、Y先生に「学会どうしますか」と聞かれた。
私は野外調査に行くところだったが、「あ・あ・やってみようかなぁとおもってます・・・」とどぎまぎしながら、しかし表情はにやにやしながら、言ってしまった。 言ってしまったんである。 正確には「やらなければならないのだろうと思いつめてます。」だ。 「(今のデータを発表することよりも)今後の方針を立てていく上でもね」 また“今後”ですか。いつまでのことでしょう...来春修了までの話でいいんですかね。 緊張すると、それも嫌な意味での緊張だと、私はにやけてしまうのだが、そこんところ、無理して笑っていると理解してもらいたがるのは、わがまま。 でも、 「議論なんて…できなさそうですぅー」と言ったら 「そこは勉強しないと」 とばっさり。 ああそうですね。私の勉強不足が何よりの原因ですね。ああそうですね。 だから怖いんですよ、Y先生。 “今後”(来春以降)について、先生に話した上で、学会のことも検討したほうがよいのだろうか。 話す…顔をつき合わせて話す…って。絶対にやけてしまう。調子のいいこと言ってしまう。悪い方向に自ら進んでしまう。 |
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