ほんとにおもしろいことは竹筒の中に
来年度に控えている大きな業務の主担当が、私。
(なぜか=前任者が異動のため。私の適性を見ての抜擢ではない) 昨年からぼちぼち動いてはいたけれど、 今年に入って、いよいよどんどん動き始めていて、 ふあんです。つかれてます。 “疲れ”の大半は気疲れ で 体はそんなにしんどくない。今のところはそんなにしんどくない。 だけど、これをずっと(今年の年末、かまだもうちょっと先か)続けるのかと思うと心細くなる。 慣れるのかな、とは思うものの。。。 仕事の内容も、 単に私の知識が足りないから難しいというだけでなく、 考えたり、提案したり、判断したり、責任が大きい。 複数の相手と協議したり、交渉したり、納得させたりしなくてはならない。 すごくハードルが高い。 そして、それらはまだ始まっていなくて、 今はまだその準備段階。 上司はもちろん相談に乗ってくれるし、アドバイスもしてくれる。フォローもしてくれる。 だけど、上司に言われたことをそのままやるのでは、私がいる意味がない。 また、手を抜くこともある程度はできる。 いい加減にすることも、たぶんできる。 ≪コレ≫という明確なゴールがあるわけじゃない。 もちろん「システムの本稼働」がゴールではあるのだけど、 そのゴールの質は自分で設定できてしまう。 (もちろん手を抜いたら、その分周りには迷惑を掛けるんだども) 私には転職先を選ぶ段階で2つの選択肢があった。 仮にA社、B社として、私はA社を選んだ。 もう一方のB社だったら、もう少し楽だっただろうか、 という思いがよぎって、 そういう発想があることがつらい。 仕事の内容は別にして、(どんな会社だって、しんどいことはいっぱいあるに違いない) A社とB社の違いは、所在地。 私が選んだA社は遠い。通勤に片道2時間以上かかる。 B社だったら、せいぜい30分だろう。 つまり、B社だったら21時に仕事が終わったら、21時半には家に帰れるだろうし、 朝だって、7時半に起きて十分間に合うんだろうなー、とか思っちゃう。 (今は朝5時半起き) だけど、その「もし」はあり得ない。 私はぜったいA社を選んだ。 たとえば、私がB社に入ってて、 仕事上で嫌なことがあったら、私はA社を選ばなかったことを激しく後悔すると思う。 ことあるごとにそう考えるようになる気がする。 それがわかったから、A社を選んだ。 そして、今の私は、B社に入社していたら、と想像することはあっても B社に入っていたら良かったと後悔はしていない。 こういう遠回しな言い方は後悔に見える? 私は違うと思う。 ただ、私には前科(病歴)があるので、 たとえば摂食障害が再発したり、鬱になったり、最悪(休職とか退職とか)の事態に陥ったら、 それは後悔するんだろうな、とそんなことをちらっと思ったりはするけれど。 そういう思いを抱きながらこの一週間過ごしていた。 金曜の朝、新聞を読んでいたら 朝日新聞に「就活する君へ」という記事があって、 そこに 『どうせ私は…』と自分の価値を低くみて、人生をおくるのは楽。 と書いてあった。 だが、努力しなくなる。 と続く。 それは、裏を返せば、 しんどいことに取り組むことは、自分の価値は高いと信じることなんじゃないか、 と思った。 自分の価値とか自分の未来とか、そういうものを信じるってすごい。 あるいはステキ。あるいはすばらしい。 だから、今年の目標は「自分を信じる」に決めました。 PR |
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