ほんとにおもしろいことは竹筒の中に
1日中自習、そんな日がずっと続いている。
難易度に差のある課題のプリント後ろの机に置かれている。自分でプリントを選ぶなり(1-A)、先輩社員に選んでもらうなり(1-B)して、各自その遂行に努める。 1つ終了すればそれを先輩社員にチェックしてもらい(2*)、チェックをクリアすれば新たな課題を自分に課す。 私はいつも1-Aで、そして2*をしない。 自分で決めて自分で終える(完了と見なすorあきらめる)。 なぜ見てもらわないのか(2*をしないのか)。 自信がないから。自分のつくったものが合っている自信もないし、何か応用的なことを聞かれても答えられる自信もない。 はずかしいのだ。出来ない自分が露呈するのが。 ただ、私が出来ない人間であることを先輩社員が知らないはずがない。 (おそらく今は見放されているのではないか。先輩社員だって雇われの身で、顧客企業で私がどう評価されようが、その結果私や先輩社員の勤めるT社にどのような悪影響が生じようが、直接給与に反映されるわけではない、直接的には。面倒なこと((理解の不十分な社員(私)に個別に教えること)しかも本人(私)から頼まれたわけでもないのだ))をわざわざやるわけがない) ―私の出来が悪いという事実を先輩社員が知っているということを目の当たりにするのが、いやなのだ。 そう。私はせめて、自分で教えを請わなくてはならない。 それができない。やりたくない。努力したくない。 できない自分を認めたくない。 そして今日も、ひとりでやることを決めて、ひとりで終える。 できることが少ないので、時間が余る。 できないことに取り組みながら、時折得る(学習する)こともあるが、それには相当の集中力・やる気・推測・観察力、が必要。 考えることを放棄して(例えば今。是を書いている今※)、時間を浪費すること(妄想に耽るなど)に集中することも考える。 ○○について考えよう、と考えたり、実際○○について考えたり。 しかし、私はせっかく勉強する時間を与えられているのだ、と気付く。充実した設備など、学ぶ環境は与えられている。あと必要なのは自分の意思で、それを放棄してしまってどないする、と思う。叱咤する。 そして、できないがとりあえず手元にある課題に取り組み、模範解答を眺めながら、トレースする。すべてがわからなくても、ほんの少しでもいいから何か得られるのであれば、がんばろうと。 また、その作業が嫌になって、放棄。 放棄の放棄。放棄の放棄の放棄。放棄の放棄の放棄のあきらめ。あきらめのあとの鼓舞。鼓舞のあとの断念、迷い。 そういう1日。 ※自習中に、課題のプリントでノートを隠しながら書いていた(といっても私に注意を払う人などいない)。 これを書いていたのが、14時くらい。 朝から空腹の極みで、昼食を食べて満腹にはなったものの、それでつかえが取れるわけでなし、午後からの時間を持て余して書いた文章をWebに起こした。 その後の話。 案の定、午後の中盤で空腹が訪れ、私の集中力はさらに低下した。 その上、課題のプリントに取り組もうとしても脳がしゅくしゅくする。"考えたくない"信号。 でも、私は先輩社員のHさんに言うことができた。 「わかりません」と。 「全然わからなくて、不安です」と。 体調が悪くて、そういうことを言うのがはずかしいという外聞すら気にできないほど不安定だったのだろう。ちょっと涙目。おかしい。 Hさんはそういう私の態度に特に困惑するでもなく(意外だったがほっとした)、マニュアルっぽい優しさと丁寧さで接してくれた。 私はそこで解決の糸口が見えたわけではない。 しかしまずひとつめには、言えたこと。 ふたつめには、解決には至らないとしてもやるべきことが見えたこと。 それでだいぶ楽になった。 Hさんありがとう。 ……疲れがたまっているようです。 PR |
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