回収して解体した竹筒は、毎日観察するために、粘着テープで留めている。
うっかりすると、観察時(つまり竹筒を開いているときに)幼虫がテープにくっついてしまう。よっぽどのうっかりに見えるが(客観すると)、それで命を落とした幼虫はa fewではない。severalだ(manyではない)。
最初の数回は、くっついた時点で諦めていた。その後数回はなんとかはがせないものか頑張った。具体的には濡らした筆でテープと幼虫との間に隙間を作ろう、でも力を入れすぎず、という手段を取った。テープにくっついた部分の3分の1くらいは離すことができても、しかし、最終的にはぷつっと幼虫の表面が破れ、臓器(?)というか、緑の液体(?)のようなものが出てしまった。
―数回+数回は、数回でいいのか。
また、テープにくっつかなくとも、思うところあって筆で触りすぎて、はっとしてから、フィールドノートに“干渉し過ぎたかも。明日死んでるかも”と記した翌日、やはり死んでいたりする(デスノートか)。
昨日、だいぶ大きくなった幼虫が、テープにくっついた。
―“くっついた”という表現を使ってきたが、幼虫は自分の意思でくっついたわけではないのだから、(故意でないにしろ)“私が”“くっつけた”のほうが正しいのかもしれない。
この手の調査方法をとって、よもや3年目。それも終わりに近づいているというのに、私はまだこんなミスをする。
ただ、昨日は割と幼虫が育っていたせいもあり、筆以外に自らの指で幼虫を剥がすことに専念した。親指と人差し指でつまーむ(過去のは小さすぎてつまめるサイズではなかった)。力をそーっと入れーる。筆でなでーる。なでる。なでる。再びつまーむ。力を入れすぎないように、引っ張ーる。別の方向から、筆でなでーる。つまーむ。(私が)びくっとする。びくびくでもある。幼虫もなにやら必死。―テープにくっついていることより、なにものかが自分の身体をいじっていることに怯えている様子。
はう、はう、……
取れた。テープから、取れた。どこも裂けていない…よね?裂けてない、裂けてない。まだのたうちまわっているけれど、それは、死へのもがき?がんばれ、死ぬな。苦しいだろうが、がんばれ。
ではな。
という感じで、(その直後)学校から帰った。
今朝、その竹筒を開けるのはかなり緊張した。
生きてる、死んでる、生きてる、死んでる、…花占いのように、
生きてるって!絶対生きてるって…青春ドラマのように、
まぁいろいろ念じながら、
開けると、
生きてた〜〜〜!
ガッツ!
「ようがんばったー。エライよ、お前」
とお前呼ばわりして激励し、フィールドノートにも、同じことを書いた。
儚い命に頑張りを強要できるほど、私はがんばっていない。そんな資格はないのに。
でも、ありがとう。生きていてくれて、ありがとう。<青春ドラマ気取りか
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