たまには観察日記から逸脱して、
田舎は自動車の所有率が高い。交通手段がそれしかないからである。
どうして、こう、道路設備を整える際に、路面電車をもっと引いてくれなかったのか、と思う。
今更、新たに線路を引くことは採算性を考えて、到底無理であろう。ただ、その利用者数が少ないという予測は、自動車依存性が高いからという前提がある…※1。
自動車を持てる人から徐々に持つ、徐々に自動車が増える、それに合わせるように道路整備をおこなう。自動車の面積的な効率の悪さと環境への負担の大きさを無視し、遠くに行けない人はそのまま放置した無計画性が窺える。
自動車、テレビ、電子レンジ…裕福の具現化(3例の時代区分は知らない)。より遠くに行きたいのなら、もっと稼げ。“追いつけ追い越せ”は欧米に対してのみならず、隣家同士の戦いでもあったのか。
しかし、交通弱者はもっと存在する。今まで見過ごされていたわけではないだろうに。
人の少ない田舎では、交通の発達は当然遅れる。物理的な開放は、心の開放にも一役買う。閉鎖的環境は、閉塞した空気を、淀んだまま、それが当たり前のようになる。
※1より、私は、はじめから(路面電車でなくとも)公共交通機関が発達していれば、人間がそれに合わせた交通手段を用いていたのでは、それが一般になっていたのでは、と期待しているのだが、一方で、皆が共有していた公衆電話が携帯電話の普及であっという間に姿を見せなくなった事実を考えると、公より私、所有欲、利便性、などの点から、自動車の増加は避けられなかったのかもしれない。自動車を持つには年齢制限があり、免許が必要で、車1台当たりの値段が高いので、携帯電話とは比べられないか、、、
誰々さんが持っていたから、私も持ちたい―そういう思考回路は国民性か?
先日ニュースを見ていたら、数十万円もするカーオーディオが発売するらしい。ターゲットはもちろん自動車好きの富裕層だが、最近は“音楽を聞くために”ドライブする人たちがいるらしい。このガソリン高の時代に、それは本当に贅沢だ。(やめてほしい)
全身で音楽を感じられる個室、と考えれば、確かに最高の空間かもしれない。音楽を聴くことが趣味である人ならば。
趣味を謳歌できる個室を与えられた私も、1人部屋を持てない子に比べれば、贅沢である。しかし、実家にはもう私の部屋はない(洗濯干し場になっている)。
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