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ほんとにおもしろいことは竹筒の中に
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 私の中には、「母に言われたから過食をやめた」とか「母のために過食をやめた」という思いが強いのだろう。

働いていたとき私の収入の大部分が食費に使われていた事実、
無収入の今、貯金を崩したり、失業給付や母の財布から過食代を捻出している事実、
嘔吐でからだが疲弊してしまう事実、睡眠不足で無気力な日々、

過食をやめることによって、それらから解放される希望
それを私は感じていない。

私が過食をやめるのは母に怒られないため

過食をしている自分は嫌いだけれど、
過食をしない自分にどれほど輝かしい未来が待っているか、あまり思い浮かばない。

なぜだろう、なぜかしら。
過食をこんなに忌み嫌っているはずなのに、
過食をしない自分の姿を求めていない?

おそらく、「自己評価の低さ」というのがキーワードになっているのではないだろうか。
自分で自分を褒めることが苦手。
過食をしなくなったとして、過食をしなくなった自分を褒めたところで、喜びを感じない。
私は誰かに褒めてもらうことによって、ようやく安心するのでは。
自分で自分を認められない。
自分の短所を励ますことも、自分の長所を伸ばすことも、自分の未来に期待することも。
誰か!誰か!私を愛して。
私じゃあ私を愛しきれない。
愛されて初めて、私は愛される人間だと思えるような気がすると。

それは悲しい思い込みかもしれない。

恋愛で必ずしも幸せになるとは限らないし、
特に私のような初心者は痛い目に遭う可能性が高いじゃろう。

先日、『猫の形をした幸福』(小手鞠るい)を読んだ。
猫を中心とした夫婦の物語なのだけれど、
もし・もし私が結婚するとしたら、こういうタイミングで愛に出逢えたらかなぁ~と思った。
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 私が書くことは、私の主観に満ちているので、
母にしてみれば「それはちゃう!」ってこともあるでしょう。
これのみを読んでいると、ダメな母だ…

しかし、あくまである日のある時間の私の主観なので、
すなわち次の瞬間には私は母を大好きで、しかも私のことを想ってくれる母に違いはなく、
そのへんの誤解はないよう。

あ、塾のバイトってのは本当です。私のつくりごとではありませぬ

 今年に入ってから、母の塾バイトは月・火・水になりました。
バイト始めは先週の火曜からで、月曜日のバイトは今日が初。
先程出勤しました。

私は今、食後の時間をBlogで埋めています。
とりあえず、今日の食事量はまずまずだったと思います。

あとすることといえばお風呂に入ること。それだけ。

みんな夕食後って何してるんかなぁ~?

お風呂にゆっくり入ろうかねぇ。

 「過食をしない」と決めたのが去年の誕生日でした。
過食をしない、にあたって、"母に1回の食事量を決めてもらう"ようにしました。

ただ、それを始めた直後の週末(体育の日絡みの連休)、父と母が小旅行に出かけ、その間はやりたい放題(過食三昧)でした。

それ以降は「過食をしない」を再開…
けれど、夕食を食べ終えた後、何もすることがない私は、たいてい横になるしかなく、
そうすると、「食べてすぐ寝ると牛になる」という格言が思い出され、
ちょびっと吐くようになりました。母には内緒で

医師にはそのことを話しました(「夕食後は太るような気がしてちょっと吐く」、と)。
医師曰く「ちょっとダメなところがあるのはむしろ良い」とのこと。

「過食をしない」を始めた頃は、精神的にも快調だったと思います。
私の食事―過食―は母の指摘どおりやはり習慣化したものがあって、
吐かずにはいられない吐かずにはいられないほど食べないときがすまない、という精神状態&食べ方になっており、
「正常な食べ方がわからない」
「正常な量がわからない」
という状況でした。

だから、母に量を定めてもらい、それだけを食べるというのは
私にとってすごく楽でした。

「ああ、満腹だ」、と感じることを喜びに感じました。
満腹であることに喜びを感じる自分を嬉しく思いました。

一方で食事の後、何もすることがなく、空虚に感じることは続いていました。
けれど、それを過食で埋めるのはまったく無意味なことだとすら思っていました。

スーパーに行って、母に頼まれたものだけ買うというのは
なんと少額で済むことか。なんと健全な買い物だろう

空虚を過食で埋めるのはまったく無意味なことだと思っていました。

それが、なんでだろう?いつの間にか、空虚を過食でしか埋められなく―元に戻りつつ、あるのです

私の満腹中枢にヘンなところがあるのでしょうが、
例えば、母が出してくれた量を食べ終えて、まだ食べ足りないとき、
吐くとそれまで感じていた空腹感がすっと消えるのです。

若い子の多くは体重を気にしていて、
それゆえに毎回の食事を満腹になるまで食べているわけではない。
ちょっと食べ足りないなというぐらいでやめることもしばしばだろう。

だけど、私は満腹にならないと気が済まない
食べ足りないという思いがあると、気が散って仕方ない

しかし、しかし、徐々に食べる量が増加している。
母も、栄養士ではないので、自分が盛る量が絶対的なものではないから、
私が「物足りない」と言えば、「おかわりすればいい」と言ってくれます。
そのせいではないと思うけれど、徐々に食べる量が増えている。

満足するまで食べたい。
しかし、私が満足するまで食べた量は多過ぎる。

それで、食後に吐くということが常態化してしまいました
食べる量が多くなるほどに、吐く量も増えました。吐かずにはいられなくなりました。

そして、吐いた後、再び何か食べたくなるようになりました。
その「何か食べたくなる」欲求を抑えることができる日もありましたが、
いつからでしょう、その欲求に抗わない日も出てきました。

過食をしないと決めたのははっきりしているのに、
過食をしてしまった日のことはもう朧げです。

母に隠れて吐き、母に隠れて食べました。

母は火・水と塾のバイトに行っています。
まず、火・水の夕食後に過食をするようになりました。
リビングに父がいるときは、2階に食料と嘔吐用のバケツを持ち込んで。

空虚を過食で埋めるのはまったく無意味なことだと思っていた日もあったのに。

今は空虚を過食で埋めたい気持ちでいっぱいです。

…いっぱいじゃあないかな。いっぱいじゃあないかも。
でも、空腹時とか、"めっちゃ食べたい!"と思うし、そして空腹時にスーパーに行くとめっちゃ買い込んでしまったりする。
食後、"ああ今から何しよう"―満腹のときは過食の衝動はありません。けれど、「ああ、今過食という時間潰しができたらな、過食で時間を潰せたらな!」と思うのも事実なのです。ああ、お馬鹿さん

つづく、かな?

今日は午後からずーーっと寝ていました。
鬱状態でしょうか…。

おととい朝~昨日午後は父母が家におらず、久し振りに本格的な過食嘔吐を何度かやっちまい
アルコール度数は低いものの、缶チュウハイやスパークリングワインも飲みまくったし
鬱状態というか、単に体力的な疲労かもしれません。

さいわい、というか、がんばった!というか、
母が帰ってきてきちんと作ってくれた夕食は吐かずに済みました。



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HN:
Hikari
性別:
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趣味:
飲む、鬱、借りる
BGM:
『過食症の君と拒食症の僕』(THE BOOM)




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