ほんとにおもしろいことは竹筒の中に
2012-07-20-Fri~07-21-Sat
高知に行ってきました!仕事を定時で終えてから、母の運転で高知入り。 高速道路で1時間弱、高知って近いのね! それにしても、高速道路は山の中を走り、トンネル多し。 ■ 高速道路より(この写真は帰りに撮影したものです) 夕食は韓国料理店にて
@コリアンダイニング 長寿
■ ナムル4種盛 ■ 牛筋煮込み 見た目ほど辛くなし ■ チヂミ 卵多め。ものすごくモチモチしてる。 翌日の昼食はひろめ市場にて。屋台村みたいなとこです。 ■ ひろめ市場 昼から飲んでる人も多いw 母はひろめ市場がすっかり気に入った様子で、また行きたい!と言っています。 ひろめ市場だけでなく、飲む処として高知はまだまだおもしろそうです。 同じ四国だけど、高知はなんだか雰囲気が違います。 *やたら喫煙者が多い *とにかく龍馬と鰹のたたき(←ひたすらうどんの香川県民に言われたくないって?) ■ 坂本龍馬先生像(高知駅にて) PR
2012-07-15-Sun @SUBWAYゆめタウン高松店
きのうは午後から夏季休暇をもらって高松へ。 せっかくなので、ゆめタウン高松まで足を延ばし、そこで昼食。 用事は高松市中心部であったので、香川県庁前店のほうが近いのですが、あそこ駐車場がないんだよ! (でもゆめタウン高松はこの日15(いちご)市ってのもあって激混み。駐車場に入るのが一苦労でした) ゆめタウン高松店はゆめタウン三豊店と違って、ゆめカードが使える(ポイントが貯まる)のがいいね! ゆめカード特典の500円割引券(ポイントが500円分貯まると発行される)も使える!メリットメリット。 さて、私が昼食を摂ったのは14:30だったので、 店内はさほど混んでませんでしたが、お土産(テイクアウト)を買うお客さんやポテトを買うお客さんなどはいました。 何なんだ私は、覆面調査員か(笑)。 「野菜、全部多めでお願いします」 と注文の後、野菜を乗せている途中で 「オリーブ特に多めでお願いします」 と重ねて言っちゃいました。 店員さんも快く「はい」と。嬉しいな! チーズはもともとクリームタイプのものですが、 チーズを乗せてからトーストするので、トローリ感がましまし! 写真から伝わるでしょうか、この私の感動が! 「チーズが濃い味なのでドレッシングはナシをお勧めします」ってのは毎度店員さんから言われることで、 今回もそれに従いましたが、 チーズ→濃厚、なので、オリーブましましにして塩気を強めたのは良い選択だったと思います。うひ。 んんー、でもサンドイッチ1個じゃちょっと物足りなかったよ。ぺろ!
この日のクライマックスは
「仕事にやりがいを求めるか否か」論争でしょう! 現代は、働くことに対して期待が多すぎる、というのでしょうか。 お金も、やりがいも、友人関係も、すべて働くことによって得られるはずだ ・・・うーん、ちょっと違うんかな。 「得られるはず」というか「得たい」という本人の願望か、「得るべき」という現代の風潮なのか、 そういう“理想”がはびこってると思います。 統合失調症の人からは 【働くことによって他人から「ありがとう」と言ってもらえる喜びを見出した】 という例が紹介されていました。 これってあれよね。 母がよく私に言う、ドラマ『セクシーボイスアンドロボ』の中に出てきた(らしい)セリフ「仕事って”ありがとう”と”お金”がもらえるんだ」 まさにこれを実感したって話よね。 高橋さん(摂食障害当事者)の発言にあった 「お金のためだけに働いてもいいじゃないか」 というのと、上の統合失調症の人の事例には、少しズレがあるとは思うのですが、(そして高橋さん自身もそれはわかっていたと思う) 言わずにいられなかった高橋さんの気持ちが私にはよくわかる。 出演者の感想に詳しいです。以下はそこより抜粋。
「障害があると“人並み”には働けないけど、でも、お金じゃない自分らしい生き方があるよね」というストーリーが用意されている様に感じてしまい(あくまで私が感じただけですが)、反発を感じた部分がありました。
極端にいえば、むしろ「人並み以上に働けて(・・・)しまう(・・・)」ことが摂食障害者の生きづらさではないか、と思うことがあります。 実際、お金が得られなくてもいいじゃない、ってね、言えないです。 だって、働く一番の目的って生活するためだもの。。。 やりがいを見出すことで働くことに積極的になる、ということは十分あると思うし、 やりがいのない仕事はつらいし、 特に賃金の面で満足できる見込みがないと、やりがいくらいないとやってられんわな。 番組を見ていろいろ考える中で、 私には「人は働くべき」と強く思っているらしいことを改めて認識しました。 私は、そういう自分の考えを正したほうがいいと思っています。 「実力主義、強いものが富む世の中であるべきだ」、私、そう思ってるよな。 で、そういう思いのせいで私自身が疲れてしまったんだろうとわかっているので、 そう思うべきではない、と思っています。 たとえば、私の大嫌いな石原慎太郎は、「実力主義、強いものが富む世の中であるべきだ」に近い発想を持っていて、 そしてそれが正しいと思ってると思います。
1回目はリアルタイムで、2回目は録画したものを母と拝見しました。
母は、(ある程度)客観的な立場で私の働いている様子を見ていたので、 平澤さん(摂食障害当事者)や鶴田さん(NABA運営)の言葉から想像される摂食障害の人と、 私の相違点について思いを巡らせたようでした。 ★ 私の 仕事について、働くことについて 私は、ずっと「仕事をしたい」と言い続けていました。 無職の時代はありましたが、ずっと求職活動を続けていました。 そして、仕事に就いている間において、仕事を辞めたいと思ったことはほとんどありませんでした。 …ただ、“「仕事を辞めたい」と思ったことはない”点については、 正常な思考だったのか、疑問ではあります。 特に、神戸での仕事(2度目の正社員)はキツかったし、つらかったのですが、 「だから、辞めたい」とはなりませんでした。 朝起きるのが苦痛、なんてこともなく、毎朝元気&笑顔で出勤していました。 仕事を覚えることができず、失敗することが怖くて緊張していました。 仕事に関することになると、頭の一部が痺れているような気がしていました。 思えば、うつ症状に近い状態だったのかもしれません。 そして、それでも「辞めたい」と思わなかったのは、 冷静な判断能力がすでに機能していなかったのかもしれません。 ★ 番組のはなし 杉山さん(MC)が「自分は山に逃げたことがある」と言い、 鶴田さんが「逃げることができないのが摂食障害の人なんだ」 「逃げたらいい、と言われることがつらいんだ」 と言ったところが、1日めで一番印象に残ったところです。 今の自分にはできないことを、 それができる人から「やってみたらいい」と言われるのは、辛いことです。 それは、摂食障害であることに関わらないと思います。 (他人のアドバイスに過剰に反応してしまうきらいはあるかもしれませんが) ※杉山さんは「自分はこうやった」と言ったのであって 「やってみたらいい」とは言っていません。そこは、大きな違いですね だけれど、まったく別の視点を持つ人が、ぽーんと言葉を投げかけてくるのが 「Our Voices」のおもしろさだと感じました。 ただ、テレビに出演されていた人たちは、 皆今の自分にそれなりの居場所を見出し、余裕のある立場だから、 他人の言葉に耳を傾け、議論できる余裕があるのだろうと思いました。 渦中にいる人たちには、例えば摂食障害で働くことに悩んでいるときに、 統合失調症の人の話を聞く余裕も気力もないだろうな、と。 だからこそ、自助グループがやすらぎの場にもなりうるのでしょうね。 自分第一にしてもいい場所でしょうからね。 “自分にできないことを言われてつらい。” →“自分にはできないという事実を突きつけられる。” →“ますますダメな自分と思い知らされる。” じゃあ、だったら他人の話は聞かないようにすればいい? 自分にとって耳障りのいいことばだけ聞いていればいい? ……ふぅむ。 入院中にmixiで私にいろいろと言ってきた人のことを思い出した! その人にとっての正しいことをいろいろ言ってこられて、 私はほんっと腹が立ちました。傷つきました。腹が立ちました(2回目)。 (私は今でも、その人の言っていることが正しいとは思っていないです。 というか、何を言っていたのか覚えていません。腹を立てていたことだけ覚えてます) 腹が立って、腹が立っていることを看護師さんや母に愚痴ったりしました。 私は、杉山さんの言葉に腹を立てたわけではありません。傷ついたわけでもありません。 私にはできないな、違うな、と思ったけれど、腹は立ちませんでした。 でもそれは現在の私の反応であって、 杉山さんの言葉に傷つく人だっているかもしれません。 腹を立てた人もいるかもしれません。 1年前の私なら傷ついていたかもしれません。 その点、同じ立場の人同士なら、多少の違いはあっても、NGワードなり気を遣いあうことができる可能性はあります(できない場合もあるだろうけれど)。 相手の立場を慮らず、自分の立ち位置からだけで何気ない言葉を発して他人を傷つけるってこと、あります。 私は杉山さんを批判しているのではなく、 このエピソードを通して、そういうことを考えたのだ、というそれだけの話です。 そう、それに、上にも書いたけれど、杉山さんはあくまで自分の経験談を語ったのであって、 それを≪アドバイス≫したわけじゃないんです。 11日(月曜・1日め)の放送を見ていて思ったのは、 私はそういうつらさを過食行為に逃げていたのかしら?ということです。 まぁ、深く考え込んだ、なんてことではなく、そういう部分もあったかもしれないナ、という程度です。 私の生活のベースには、過食嘔吐ががっちり組み込まれていましたから、 仕事のつらさがあろうがなかろうが、過食嘔吐していたとは、思います。 でも、逃げの手段に使っている側面も、あったんじゃないかな。 逃げも、息抜きも、ストレス解消も、楽しみも、時間つぶしも、なにもかもぜんぶ、が過食嘔吐だったのでしょう。 |
カレンダー
アーカイブ
ブログ内検索
|