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ほんとにおもしろいことは竹筒の中に
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 昨日と今日。
母はバイトで、父は交遊?で夕飯要らず。
ひとりの夕食。
私は夕食から過食をしてしまった。

先週は、母がバイトに行っていても過食をせずに済ませることもできたのに。
先週は父という監視役がいたからか?
父はいたほうがいいのか。

「父が居たほうがいい」という結果にならないためにも、
ひとりのときも過食をしない実績を作る必要があるのに、
今日(&昨日)、夜ひとりなんだと思うと、食料を買いに走ってしまった。

嫌な感じなことに
昨夜は夜中に一回も目が覚めることなく、ぐっすり眠れた。
過食嘔吐で疲れたからか?
ウォーキングで1時間歩いてへとへとになっても就寝後4時間で目が覚めてしまうというのに
過食嘔吐した日はぐっすり眠れるって、そんな実績要らんわ!
すがってしまうかもしれんやろ!

昨日・今日とNHK教育『ハートをつなごう』を見た。
テーマは≪性暴力被害≫。
すごく濃い30分×2日だった。
しかし、思ってしまう。彼女たちは純然たる被害者だ、と。
私は違う。私の努力不足。私は意志が弱い。

彼女たちは肉体と精神に傷を負っている。
私は負っていない。

以前、同じ番組でLGBTが取り上げられていたときは、こう思った。
彼女/彼らは胸を張って生きていく権利がある、と。

私は自分を恥じている。恥じている、っていうか、恥だ。めっちゃかっこ悪い。
摂食障害でも、「いいかげんに生きよう」とか、今の自分を認めることから始まるのだと、それは聞いている。知っている。
私は、「過食をなるべくしないでおこう」と思い始めた昨年末から、
初めて過食行為に罪悪感を感じていると思う。
過食嘔吐という習慣が恥ずかしい、とはずっと思い続けていたけれど。
恥ずかしいけれど/恥ずかしいから、隠すためにも人と関わらない生き方が楽だと思っていた(今も思っているフシはあり)。

精神的な問題の深みが、全然違うのだろうけれど、
性暴力被害もLGBTも、根本がはっきりしていて、いいなと思ってしまう。ごめんなさい。

んー、番組で出ていた人たちが「自分が被害者だとは思っていなかった。人から指摘されて気づいた」
と言っていた。当事者は、自分が悪いと思っていたという。
未来の私も、今の自分を客観的に見て、認知の点で問題があると言えるときがあるだろうか。

blogで書いていると、たまにすごく頑なだなと感じるような、あるいは
自分を責めているような論調であったりするのだけれど、
それは、書くという行為が私をそうさせているのであって、
日常の私はとても自分に甘い。すごくいい加減で、自分に努力を課さない。
やりたいようにやっている。
しんどいことは口に出す(母に)。いろいろと免除されて生きている。

どうして治らないんだ?ここまで自分を許容しているのに。ぷんぷん。
習慣化した私の悪癖は、私の「意地」で正さなければならないのだという司法判断(司法って。嘘)。
どうすればいいんだろうなぁ。

…というか、こういう文章を書いて、
私は私なりに考えあぐねているんだよ、というアッピールをしているだけのような気もするのだ。
やっぱり今日の夕食は過食したくて、それに身を任せてしまったのだけれど、
いえいえ、私もいろいろ頑張ろうという気持ちがなきにしもあらず、と母に示したいだけのような。
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