ほんとにおもしろいことは竹筒の中に
昨夜は過食をしてしまいました。
ちなみにおとといはしていません。 過食をしてしまったこと…がっかりですが、 なんとなく自分の中で予感があったというか、過食したい気持ちがあった。 それを、母に言おうか ―言って、何か過食をしないための対処を一緒に考えようか と逡巡したのだけれど、言わなかった。 言えればよかったのかもしれないけれど、言えなかったのは言いたくなかった/過食したかったんだろうと思う。 私の中にはまだそういう私がいて、それはそれで仕方ないと思う。 今朝母の機嫌がよろしくないのは、でもきっと私のせいだけではなく、その他もろもろのことだと思う。 空き缶を小さく潰したり、ささやかなお手伝いだけれど 私がそれをするのは、母の機嫌を損ねたくないからだ。 すごくすごく母の顔色を伺って生きているなぁと思う。 母は基本的に私に甘く、叱ることもないのだけれど、 たとえば私以外に原因があって機嫌が悪くても、すごくびくびくする。 おそらく、私の世界に占めている母の割合がとても大きいので、母の機嫌が気になるのだと思う。 私の世界が広がれば、そういう縛りからは解かれると思う。難しいけどね。 父のこと。 これはよくわからない。 医師に、「“過食の衝動と関係しているかどうか別にして”父親の存在が光さんの心の安定を乱しているんだね」 と言われた。 父がいるだけで、むしゃくしゃする。気が重い。いらいらする。 そのいらいらの解消のために過食に向かう、ということは確かにない。 しかし、私が心穏やかに暮らすためには、父は不在であって欲しい。 考えてみれば、私の心をかき乱すのは母と父なのか。 そうか、そういう括りで考えると、母と父はセットなのか。 私の精神的・物理的・経済的自立のみが重要? …「のみ」ったってそれを実践するのは困難です。 PR |
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