ほんとにおもしろいことは竹筒の中に
以下、精神科医に送ったメール(一部修正済)
数日前、朝、母と口論した日のこと。打ちひしがれた気分で、いろいろ考えました。 (母からその手のことばをかけられたとき、私はたいそう打ちひしがれます) そのとき考えたのは “私は過食が楽しいんだ” ということです。 過食をしないのは楽しみがないことだ、と感じました。 楽しみにしろ、ストレス解消法にしろ、私が持っている手段が過食なのでしょう。 // 仕事に就いていたときも今も、そんなにストレスは感じていないので、 // 「楽しみ」の比重が大きいと思います 私はほかに、漫画を読むことが好きです。 小説を読むことも好きです。 漫画に関していえば、 私は読むのが早いので、 満足するまで買うととんでもない額になるだろうと思います。 (もちろん食費に比べれば安いと思いますが) そして、とてもおもしろい漫画に逢うと 嬉しいのですが、そういう才能のない自分を残念にも感じます。 小説を読むことにいえば、 “本が好きな自分”に酔っているのかな、と思う側面があります。 だから、読むのに疲れてページを飛ばして ストーリィだけ把握する読み方をしてしまったり。 「本を読んだ」という実績だけ作りたいのではないか。 ほら、本好きは知的なイメージがあるでしょう? そして、とてもおもしろい小説に逢うと 嬉しいのですが、そういう才能のない自分を残念にも感じます。 (コピペしました) 漫画も読書も、私の楽しみと同時に、コンプレックスを刺激するのです。 私には何もない、私は人より秀でているものがない、そう感じるのです。 よく、摂食障害の人には完璧主義が多いというのを聞きます。 私は、部屋で1日だらだらしていることも多いし、 (浪人をせず)2流の大学に甘んじたり、 完璧主義ではないよなぁ、と思っていました。 でも“ものすごく優れている自分”に期待しているようです。 ☆ 「自己顕示欲が強い」とか ☆ 「私は(自分のことは嫌いだけれど)、自分には才能があると思っている」 とはもともと感じていました。 ★ 「才能があると信じていたいけど、きっと大したことないんだ」 と理解しているつもりでも、いました。 でも、どうやらまだ“他人よりすごい自分”に憧れ続けているのです。 人よりすごい才能を持っていて、人から羨ましがられたい。 人が羨むようなすごい自分でいたい。 本を読むことも、漫画を読むことも他人の才能を感じます。 TVを見ても、他人がいます。 人から認められている人たちがたくさんいます。 人と係わると、その人の良さ(自分にはない)を感じるのです。 有名人に限らず、友人であっても。 私よりかわいい、私よりいい大学に入っている、とか。 だから、いちばんの楽しみは、食べることになっているんじゃないかな と最近思うようになりました。 私はNHKの採用試験を受けて、筆記試験&面接で落ちてしまったけれど、 書類選考が通ったとき、母が 「もしNHKに入れたら、光は長年のコンプレックスから解かれるんやろうな」 と言っていました。 きっとそうだろうと思いました。 きっとそうだったんだろうと思います。 何の解決にもならないし、 結局通らなかったんだから問題回避にもならずに済んだんだけど。 PR |
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