ほんとにおもしろいことは竹筒の中に
先月、生首の夢を見て、おい、この夢は何の暗示や!クビってことか!!と戦々恐々としておりましたが10月に入り、半年の仮採用期間を終え、無事本採用になりました。
といっても、課長から「こんな通知がきました」と人事課が課長宛てに出した通知文(光さんが本採用になりましたことを通知します云々)を見せられただけでおしまい。 記念に通知文もらっておけばよかったなー。 PR 母に「あんた仕事だいじょうぶなん」と聞かれ、即答できず。 「仕事楽しいわー」とは言う。言える。 楽しいんだけど、楽しさに浮かれてたような気がする。 なぜ楽しいのか?それはみんなが優しくしてくれるから。フォローしてくれるから。 私はその優しさに甘えてるから楽しいんだ。楽をしているんだ。今気づいた。 考えてみれば、最近の私は係長に頼りっぱなしだった。 私の勤務時間の様子を、端から見たら、それはどうだ? ちゃんとできてるか?やってるか? 即答できない……。 そして、今までそんなこと考えてなかった。おおおおそろしい。 「何も考えてないよね」「口ばっかりよね」「すぐに人を頼るよね」 と思われていても仕方ないかもしれない。 「もうちょっと一人でがんばってみたら?」「努力したら?」 とは思われていないかもしれないけれど、私は自分に対してそう思う。 落ち込む。 落ち込む。 落ち込む。 けっこう落ち込む。 ずんずん落ち込む。 どうしよう。 不安になる。 怖くなる。 不安になるのは、思うところがあるからです。 ちゃんとやってる自信がないからです。 ≪楽をしている≫というのは、今自分で書いててはっと気づいたことだった。 気づいて、衝撃を受けた。ずんっとな。 私が今楽しいのは、何かを成し遂げて充実しているからじゃないや。 つらいことがなくて、苦しいことがなくて、楽だからだ。 だめだ。そんなんじゃだめだ。 わざわざつらいことを作る必要はないけれど、 今の楽しさが「楽だから」ってことだとしたらそれは問題。 仕事の楽しさは、別のところにきっとある。 私、がんばらなきゃ。 私、がんばってるつもりではいたけれど、 それは、なんつーか、がんばってない。 がんばってるつもりだったけど、あれはがんばりとちゃう。ちゃうと思うわ。 みんなが守ってくれている箱の中で、がんばっている自分に自己満足しているだけ。 がんばることのできるステージを用意してもらってたんだな、と気づいた。 そうじゃないよね。 私、やらなきゃ。もっとちゃんとしなきゃ。 「できる」は難しいかもしれないけど、まずやってみなきゃ。ちゃんとしなくちゃ。 勤め始めて3か月経過(※6月30日現在)。 5月まで、と比べて格段に思うのが、私だいぶリラックスしてきたな。 やっていることは、指示待ち指示通り、ローテーション作業がほとんどで、 わからないことが多いし、自分では判断できないことが多い。 同じことを聞いてしまうこともある。 注意力に欠けていて、うっかりしたミスもある。 思い込みで事を進めて、ストップがかかることもある。 苦笑いされることもしばしば。 まだ、私は自分のやっていることを仕事とは呼べない。(おいおい、大丈夫か。) そういった業務とは別にして(別にするのか。おいおい、大丈夫か。2回目) 職場の人たちに対して、この1か月でだいぶ馴染んできたように思う。 ―いや、業務も慣れてきたところはもちろんあるよ 馴染むというのはそれだけ図々しくなったのかもしれないし、 相手にどう映っているのかはわからない。 私は最初っから職場の人たちに対して好印象を持っているのだけれど、 好印象を持っているだけ、から、好印象を持っていることがわかる振る舞い になっているような気がするんだ。 要は、私がみんなに対して打ち解けてきた。 そういえば、4月の最初―まだ研修の初めのころ、は 緊張して昼にあまりお腹が空かなかったなぁ、なんてことも思い出したりしていた。 今はしっかり食べている。 ちゃんとおなかが空いて、しっかり食べて、しっかりがんばっている。 食事 だけでなく、やっぱりちょっと私は変なところがあるとは思う。 そうだね、他人との距離の取り方に関しては特に。 不器用というとかわいい表現ですが、つまりは未熟。30歳にもなって! ≪友達をつくる≫のはなかなかハードルが高いかもしれない。 んー、でも、職場の人たちとは密な関係になることが目的ではないので、 勤務時間中に、職場の中がぎすぎすしていないのなら、ノープロブレムだわ。 嫌いな人がいないのはすごくラッキィ! それこそ、その人となりをよくよく知っちゃったら、 嫌な部分も知ることになるかもしれないんだから、 今はいい状態かもしれないね!
新しい職場で働き始めて2か月が経ちました。
2か月働いてきて思うのは、 私は考える行為が苦手だということ。 新しいものをつくり出す ことが苦手なのは知っていたけれど 現在の状況から推測して何かを導き出す ことも苦手。 「相手のことを/今後の展開を/自分の知らないことを 想像する」 ってことが難しい。 相手のことを想像するのが苦手なら→相手のことをもっと知る。 今後の展開を想像するのが苦手なら→経験を積んで想像ではなく過去の事例とする。 自分の知らないことを想像するのが苦手なら→勉強して自分の知らないことを減らす。 ・・・と、理屈だけはご立派に考えられる。 そして、相変わらず「思い込みが激しい」。 思い込みが激しいことについては自覚があるので注意しているのだけれど、 自分のやっていることが思い込みによるものだという意識がないため、 せっかくの注意が役に立ってない。 思い込んでしまうのは、その先のことを考えていないからだと思うんだ。 「こうするべきだ」と思ったら、それ以上の思考を停止して、 突き進んでしまってるんだと思うんだ。 うまい例が思いつかないので、適切ではないかもしれないけれど ≪△△△についての照会≫という文書をつくるとき、 「Aに書いてある△△△という言葉を使ったらいい」、と助言をもらって そのまま△△△とコピペしたら、 あとで別の人から「どうして△△△という言葉にしたのか」と聞かれて、 うまく説明できなかった。 「Aという文書にそう書いてあったから。 ××さんが△△△を使ったらいいって言ったから」 というのが事実なのだけど、それでは説明にならない。 「△△△をコピペすればいい。それでいい」と思い込んでしまって、 なぜ△△△という言葉を使うことになるのかを考えなかった。 考えることすら思いつかなかった。 「考えることすら思いつかなかった」ところが問題であり、 「考えなくていい」と思い込んでしまってたところが問題なのです。 それは責任を持って自分の仕事に取り組んでいるとは言えないと思います。 思うだけではいけませんが・・・。 言われたこと以上のことはしたくない、と思っているわけではない。 でも、 言われたこと以上のことができない。 以上は、「2か月を振り返って考えること」。 この2か月の私を「考える」「考察する」とそうなる、という話で、 毎日「感じている」こと、それはすなわち 楽しい! 楽しすぎる。 正直、自分でも何が楽しいの?と思う。別に恋人がいるわけでなし。 どこがどう楽しい? たぶん、楽しいと感じる閾値が低めなんだと思う。 (あまり楽しいことがなかったから?) 行く場所がある、いる場所がある、やることがある、ごはんがおいしい、 それだけでも十分うれしいことなのに、 職場の人が信頼できる、頼りになる、優しい、とくるもんだから、楽しすぎる ってなもんよ。 職場の雰囲気や上司・先輩だけじゃなく、 やっている内容もすごく好き。 エクセルが好き。パソコンに向かう事務作業が好き。 職場の窓から眺める風景を見て、 自分が今ここにいることが愛しくてたまらない。 今の自分を大切にしたい。 その気持ちを大切にしたいと思う。 |
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