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ほんとにおもしろいことは竹筒の中に
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『ハートをつなごう ~依存症 第2弾~』(放送09年1月29日 NHK教育)を見た。
恋愛依存症・セックス依存症がテーマで、その本人が出ていた。
その人は、高1のとき(?)当時の彼氏とセックスをして、それ以来、セックス依存症になったという。抱かれている間、「自分は求められている、愛されている、必要とされている」という実感を感じたらしい。逆に言えば、抱かれていないと自分の存在を肯定できなかった。繁華街に立って声をかけてもらうのを待ち、不特定多数の人と肉体的な関係を持ったそうだ。それは「愛情」ではないだろうと思うけれど、その瞬間自分のからだは他人に求められていることは違いない。求められていると感じることが出来たに違いない。


それを見て思ったのは、もし、私に一度でもそういう機会があったなら、私もその手の依存症になったに違いない、ということ。
哀しいかな、私には一度さえそういう機会がなかったから、その手の依存症にならなかった。
繁華街に立ちんぼしたことはないけれど、、、
日常生活を送る中で、そういうふうな対象として見られたことはなかったな。積極的に見せようとはしていないけれど、積極的に見られまいともしていない。だけど他人曰く、私は「女としての自分を捨てているように見える」らしい。がぁぁん!そんなつもりはないのに!!

私がもし、今までに一度でも愛される対象として異性から求められていたら、私はきっとものすごくはまっていたと思う。
現に、私は片想いであれ、ものすごく偏ったはまり方をしていた。今思えば、応じてくれなくてよかったのかもしれない。うううん、応じてくれてもよかったのに、やっぱり。うん。

ハートをつなごうに出ていた女性には、正面から向き合ってくれる男性が現れ、また自分が愛する対象を見つけることで(それは猫なのですが)、セックスではない愛のかたちを見つけておられました。愛してほしい、必要としてほしいとせがむところから、自分が何かを愛することを知ることで回復の道を見出した、ようです。

私も、他人が自分を愛してくれるのを待つのではなく、自分で愛さないといけないんやろな、と思った。思ったけどな。それは難しいよ、まだ
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