ほんとにおもしろいことは竹筒の中に
2012年振り返って、一番の出来事は「過食嘔吐が治ったこと」。
ほかにもいろんな変化がありました。私にとって大きな節目となる一年でした。 mixi日記の再掲。 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
【フライングゲット|2012年6月30日】
過食嘔吐が週1回以下になってから3か月経ちました。 過食症の診断基準(DSM-IV、アメリカ精神医学会による精神疾患の診断・統計マニュアル)「むちゃ食いおよび不適切な代償行動はともに、平均して、少なくとも3か月にわたって週2回起こっている」から外れました。 摂食障害治りました。 ★ 実績 4月に入ってから、なぜか過食嘔吐が週に1回ペースになって、 5月に入ってからは、なんとゼロです。 つまり、5月6月と過食嘔吐をしていないので、来月まで待って「過食嘔吐3か月していません」→「摂食障害治りました」宣言をしてもよかったのですが、ゼロを基準にするより週に1回以下のほうが自分としても気が楽だし、早く宣言したかったというのもアル。 ★ 認定 過食症の診断基準「3か月にわたって週2回起こっている」のNOTを「3か月にわたって週2回より少ない」とみなしていることについて、異議を唱える方もいらっしゃるかもしれませんが、別にいいじゃーーん。 6月9日、照ちゃんのカウンセリングを受けたときに現状を報告をし、 私が「6月末まで週1回以下ペースが続いたら、過食症の診断基準から外れるから、治ったと言ってもいいですか?」と聞いたところ、 「確かに摂食障害が治ったと言えますよ」、と照ちゃんの了承済み。 9日にフライング認定を受けて、じゃあ6月末までそれが保てるか!?そういう心配や恐れはありませんでした。それぐらい今はとても順調です。 6月末日をもって認定完了なので、1日残っているのですが、週に1回以下という基準を考えたら、今夜過食嘔吐してもセーフだし(笑)、それにま、だいじょうぶでしょ!(にこにこ) あー、それと厳密には週1回以下ペースを完全に守れたわけではなくて、 たとえば、1週間の最初を何曜日にもってくるかによって、2回カウントになってしまう週アリ、 母が旅行で3日明けてたときは勝手に例外にしてたりします(つまり2日連続過食嘔吐したってことだ)。 ★ ぐだぐだ ただ、私が今順調なのは大きなストレスがないからで、 これから大きなストレスが生じたときに過食嘔吐しないとは限りません。 (何せ、別のストレス解消手段を持っているわけじゃありませんから) でも、照ちゃん曰く、私の「摂食障害から回復した」という経験が生き、回復しやすいのだそうです。 回復への道筋ができている、ということだそうで。 私自身は、照ちゃんのそのことばに懐疑的です。 なぜなら「○○したから変わった」「○○したら良いことがわかった」わけではないからです。 今後過食嘔吐が復活してしまったときに参考にできる手段を持っているわけではないからです。 ただ、1回でもエベレストに登頂したら、その後何度失敗してもその人がエベレスト制覇を謳っても構わないのと同じように 1度でも回復したことがある、のは私の大きな実績です。(同じか?) 今回、なんとなく過食嘔吐の回数が減ったのは、私のこれまでのいろいろが積み重なって、 「気が付いたら満期になってて利息が返ってきた」だそうです(照ちゃんの表現)。 さまざまな“こだわり”や“へんなとこ”、“むつかしいところ”はいまだ残っているけど、 照ちゃん曰く「現代で食事や体型にこだわりを持っていない人のほうが稀」で、 私は他人よりそのこだわり度が高い・面倒ではあるけど、 それをもって摂食障害と診断するには及ばないってこと! 水島広子さんの著書で『ダイエット依存症』という本があり、 それは「現代にはダイエット依存症といえる人が多い。問題だ」という本なのだけど、 ダイエット依存症でいいじゃん。摂食障害よりマシだよ! 他人と食事すんのが負担、というのは徐々に改善されたらいいなぁ。 ★ 踏み台にする 照ちゃんは私に摂食障害になってよかったこともあると思わせようとしてんのか(笑)、 「摂食障害になったことで人に対して優しくなったと思いますよ」 と言っていました。 それはどうなんだろうなあ。 「いや~。私はまだ結構他人に厳しいところがありますヨ」と言ったところ、 「摂食障害になる前はもっと厳しかったんじゃない?」と やっぱり摂食障害になってよかったと思わせようとしている!(笑笑) 「摂食障害になったことで(照ちゃんという)専門家を手に入れた、と思ってください」 と照ちゃん自身が言っていました。 これから過食嘔吐に戻らなくても、何かストレスを感じたとき、うまくいかなくなったとき、 私には照ちゃんという信頼できる心の専門家がいる、というのは確かに強みになるでしょう。 摂食障害にならなかったら、―まあもっといい大学に行けた可能性は高いですが、 照ちゃんのいる神戸女学院大学には進まなかっただろうし、 女学院に行かなかったらE先生には出会えなかったので、 それもまた摂食障害のおかげってことで。 照ちゃんのストレス疾患治療研究所の待合室に置いてある自助グループの会報誌で、最新号のテーマが「摂食障害を踏み台にする」というものでした。 摂食障害から回復して、じゃあその経験をどう生かすか、というものです。 記事に目新しいものは特になく、「親子のきずなが深まった」とかまあそういう類で、 私が期待したような「踏み台」事例はありませんでした。 そりゃ、この経験を本にして大ベストセラになればそれは超ウケる!けど、 自分の身の程を知る、ことがこの病気の神髄だと思えば、そういうことは考えない。 これまで掛ってきた医師からは、ずっと 「過食嘔吐に替わる心奪われるものを見つけなさい」 と言われてきました。それは照ちゃんにも言われました。 私はそれを見つけたわけではありません。 自転車もそこそこ、カメラもそこそこ、ヨガはぼちぼち、仕事はまあまあ楽しんでいます。 過食嘔吐に替わる大きな何かを手に入れなければならないと思っていたことは、 結果的に私にとっては正しいことではなかったのだけれど、 医師はそう言うしかなかっただろうし、 まるっきり間違っているとも言いません。 それにしても、治ったんだなぁ。 治ったのかぁ。すごいなあ……。長かったなぁ。 さーて!誰に抱きしめてもらおうかな!! + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + 過食症回復宣言から半年経った今も、大きな乱れはなく日々を過ごしています。 他人とお酒を飲みにに行ったとき吐く、ということはしています。 でも、吐くからといって、吐いたからといって過食モードになることなく。 相変わらず、食べられるものは限定されています。 (マヨネーズだめ、揚げ物だめ、脂身なるべくだめ、お菓子拒絶、間食ゼロ、 オイルドレッシングだめ、ラーメンいや、・・・) 食事風景は、うん、ちょっと不自然だと思います。 でも、無理してる感はない。そのときの自分にとって楽な方法を選んだ結果の今なので、 今、とても楽です。 たとえば、私は今の職場で、徹底して間食をしません。 最初に「甘いものは食べません。嫌いです。間食もしません」となるべくソフトに伝えました。 それはおそらく不可解に映っているところもあるでしょう。 変な子、と思われているかもしれません。 今でも、たまに「おせんべいもだめなん?」とか「(甘く煮ている)黒豆も食べないの?」とか うっとういしなーと思うこともありますが、 無理して相手に合わせて食べることより、変だと思われても食べないほうを選択しています。 どうして間食したくないのか?ということについて、 実は自分でもよくわからない。 ―なんとなく過食スイッチが入ってしまうような気がする、というのが最も近い。 それをうまく言語化する必要性も今のところないので、わからないまま、したくないことはしない。 食事を始めたら、満腹になりたいというのがあって、間食ではそれは満たされない。 というのがあるのかな。 それは「ゼロかイチか」の性格のせいもあるでしょう。空腹か満腹か。 そういう性格では困る!直さなければならない!!というのであれば、改善のために取り組まなければならない問題だけど、今の私における「ゼロイチ」性格は日常生活に支障をきたすほどのものではない。 これはもう個性なのよ。魅力なのよ。(自分で言うな) 幸い、私の今の職場の人たちは、間食しない私をそれなりに受け入れてくれている(支障をきたしていない)。 照ちゃん曰く、今の私のさまざまな縛りが日常生活の中でちょっと不自由だと感じる経験も、また必要 らしい。 不自由さを経験して、その不自由を克服するために縛りをちょっと解いてみようかなと思うかもしれない。 その不自由さを受け入れるかもしれない。 いずれにしても私にとって楽な生き方を模索するきっかけになるだろうから、と。 だから、新しい人間関係が始まることが、 不安でもあるのだけれど、私の殻を破る次のステップかもしれないとさえ、思うのです。 始まってないから言える、井戸の中の戯言かもしれないけれど。 昨年もありがとうございました。 今年もがんばりますので、どうぞよろしくお願いします。 PR |
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